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救急車通訳をして感動した話

 

こんにちは!コキリです。

 

最近、メルマガの読者さんから、

「コキリさんって、普段どんなことして食べてるんですか?」

という質問が来ました。

 

なかなか、単刀直入ですね 笑

そこで、今日は最近私が感動した、仕事の話をしたいと思います。

 

仕事の話ですが、うつ病のこととも関係していますので、ぜひ、情報を取ってみてくださいね。

 

私は、脱うつ後は、中国語と整体の事業を行っています。

中国語と整体という全く異なる業種ですが、どっちも私の好きなことです。

私自身、通訳として働くことも、整体師として働くこともあります。

 

そして、最近、中国語通訳をしたときに、えらく感動しましたので、そのときのお話をします。

では、聞いてください。

倒れたお客さんのもとに駆けつけた

急いでいる人の画像

 

その日、私は朝からブログの記事を書いていた。

 

スマホが鳴ったのが11時55分。

私の通訳のホームページを見た中国人のお客さんからの依頼だった。

 

聞くと、今日、奥さんを病院に連れて行きたいと言う。

 

その日は、ちょうど他の仕事が入っていなかったから、承諾した。

 

しかし、よくよく話を聞くと、どうも様子がおかしい。

なんと、奥さんは家でフラフラで起き上がれない状態だと言うのだ。

私はすぐに救急車を呼ぶように言ったが、日本語ができないから、今すぐこっちに来てほしいと言う。

 

そのときのやり取りがこちら。(見にくいが)

中国語のやり取りの写真

 

簡単に訳すと、

お客さん「妻がフラフラで歩けないんです」

コキリ「では救急車を呼んでください」

お客さん「何番か分かりません」

コキリ「119です」

お客さん「日本語もできません」

コキリ「では、私が呼びましょうか?」

お客さん「病院に着いても説明が分かりません。だから助けて欲しいです」

 

これは、もう、行くしかないと思い、私は急いで着替えて、家を出た。

 

電車に乗って指定された駅まで40分。

改札を出ると予め写真をもらっていたから、すぐにお客さんは見つかった。(以下、Lさんと呼ぶ)

お客さんに代わって救急車を呼んだ

救急車, 医学, 病院, 保健医療, 急性期管理, マシン, サービス, 救急車

 

Lさんと並んで、奥さんが寝ている家まで急ぎ足で歩いた。

その間に奥さんの状態をヒアリングした。

昼前に中華料理屋のウエイトレスの仕事に出て、そこで眩暈がして早退。

アパートに帰ってから起き上がれない状態になったそうだ。

 

大体徒歩6~7分でアパートに着いた。

部屋に入ってみると、奥さんがベッドに横たわっていた。

意識はあるようだったが、頭を抱えて、いかにも辛そうだった。

 

私は急いでスマホを取り出して、119を押した。

私自身、救急車を呼ぶのは初めての経験だった。(交通事故で乗ったことはあるが)

「救急ですか?消防ですか?」

「救急です。40代の女性でフラフラで動けないんです」

「では住所をお願いします」

私は予めLさんから聞いていた住所を述べた。

 

救急車が来るまでの数分間、Lさんと話をした。

Lさん曰く、

もう日本で働いて10年だけど、もし妻が病気なら、引き上げて中国に帰る。何よりも大切なのは、妻だから。心配で仕方ない。

とのこと。

Lさんの奥さんへの、愛がひしひしと伝わってきた。

救急車通訳とLさん夫婦の事情

 

救急車が到着。

奥さんをストレッチャーに乗せ、私とLさんも乗車。

私は、Lさんからヒアリングしていた奥さんの状況を救急隊員に説明した。

 

救急車で運ばれている間、不安になった奥さんがときどき、

「まだ着かないの?頭が痛くて」

と消え入りそうな声を出した。

Lさんが、しきりに奥さんを励ます。

 

1番近くの総合病院に到着。

奥さんが運ばれて行った。

 

私とLさんは、受付で手続き。

手続きを終えると、奥さんの検査が終わるまで、待合室で待った。

 

待っている間、Lさんといろんな話をした。

Lさんと奥さんは、中国の東北の出身。

10年前に日本に来て、ずっと中華料理屋で働いている。

Lさんは調理師、奥さんはウエイトレスとして。

労働時間は1日10時間。

日本で働く理由は、給料が中国の何倍も高いから。

稼いだお金を中国の親や子どもに送る。

中華料理屋のスタッフは全員中国人で中国語でやりとりするから、ほとんど日本語は使わないとのこと。

できるのは、メニューと必要最低限の日本語だけ。

 

こういう来日中国人は多い。

お金を稼ぐために、中華料理屋で毎日遅くまで働く。

学歴は低く、中卒や小学校卒の人もざらにいる。(私はこの仕事で何人もこういうタイプの中国人に会った)

そして働き過ぎて体を壊してしまう。

 

Lさんが言う。

中国では、先にお金を払わないと検査すらしてもらえない。

日本は、病気の人がいれば、検査してくれる。

お金はあとから払えばいい。

そこが素晴らしい。

だけど、もし妻が病気なら、中国に帰る。

やっぱり言葉が通じるほうが安心だから。

 

だそうだ。

検査結果を聞いて安心した

ピンクの花の画像

 

1時間半待ち、ようやく看護士さんに呼ばれた。

Lさんと一緒に案内された部屋に入った。

そこには医者と、点滴をつけられベッドに横たわる奥さんがいた。

医者が通訳の私に話しかけて来る。

緊張の一瞬だった。

Lさんと、奥さんの緊張も伝わって来た。

 

病名は、副鼻腔炎、だった。

脳とかではなく、鼻の病気だ。

鼻の中が炎症を起こし、それが悪化して頭痛、フラフラに繋がっていたということだ。

 

部屋の中に安心感が漂った。

Lさんが奥さんに、笑い掛けていた。

 

よかった」

「よかった

 

私も、重大な病気だったら……という緊張から解放された。

本当によかった。

 

そこからは、肩の力が抜け、

PCR検査陰性

CT検査問題なし

血液検査問題なし

等の、医者の説明を逐一通訳した。

夫婦で助け合って生きて行く姿に感動した

妻の額にキスする夫の画像

 

通訳を終えたあと、Lさんと奥さんと言葉を交わした。

「すぐに駆けつけてくれて、本当に感謝してる」

と、非常に喜んでくれた。

 

私自身、病院で通訳することはあっても、救急車に乗ることはないので、すごくいい経験になった。

 

何よりも、Lさんと奥さんの絆の強さを見て、心があたたかくなった。というか、感動した。

言葉の通じない外国で、夫婦2人で助け合って生きて行く姿に。

 

そして、思った。

自分は、いつからこんな風に感動する心を取り戻したんだろうって。

うつのときは、心がネガティブな感情で覆われていて、感動なんて入り込む隙間がなかった。

感動だけじゃない。

ポジティブな感情はことごとく自分の中から消え去っていた。

辛い、くるしい、しんどい、ばかりで。

 

それが今、こんな風に感動しているのだ。

 

あの、苦しかった時代があったからこそ、今、自分が感動できることに感動できるんだと思う。(言い方変だが 笑)

 

私、感動してるじゃんって。

なんだか、しみじみと感じるのだ。

脱うつを目指している方へ

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今でこそ、私は自分の好きな仕事をして、さらに感動したりして、素晴らしい日常を送っていますが、うつ病最盛期のときは、誇張じゃなく死んでいました。

 

くるしい

くるしい

くるしい

ばかりでした。

 

今、こんな幸せな世界に生きていられるのは、支えてくれた人やもの、制度と、素晴らしい脱うつメソッドに出会ったからだと思っています。

そして最後は自分自身が希望があることに気付けたからだと思います。

 

あなたも、脱うつへの1歩を。

 

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