こんにちは!コキリです。
脱うつ病コミュニティの今月のzoom意見交換会では、「大切な人に死にたいと言われたらどうするか」という話をしました。
意見交換会の様子↓↓
うつ病になると、「死にたい」という気持ちが起こることがあります。
私自身、うつが重かったときは「もう死んでしまいたい」と大学の先生に話したり、日記に書いたりしていました。
うつ全盛期は「めちゃくちゃ苦しいけど、死ぬって選択肢もあるんだ」と思うことで心がラクになっていました。「死」を自分に近付けること、で生きようとしていたのだと思います。
また、「死にたい」と人に言うことで、「今、こんなに苦しいのを分かってほしい」という気持ちもありました。
あとは、「人生に希望が見い出せない」「苦しいときがずっと続くのではないか」という気持ちから、「死」を意識していました。
では、もしも、
大切な人(うつ病)に「死にたい」と言われたらどうすればいいか?
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①うつ病の「希死念慮」という症状が死にたい気持ちにさせていることを話す
うつ病ではなくても、日常生活の中でふと「死にたい」と思ったことがある人は意外と多いかもしれません。しかしうつ病の人で死にたい気持ちが何度も強く出て来る場合は、「病気の症状」の可能性が高いです。
うつ病という病気が死にたい気持ちにさせているのです。この症状のことを希死念慮といいます。
病気が死にたい気持ちにさせているという事実を相手に話すことで、「これは病気の症状なんだ。本当は死にたいワケじゃないんだ」と思うことができるかもしれないので、まずは伝えてみてください。
②苦しみは、ずっとは続かないことを伝える
うつのときは、「このままずっと苦しいんじゃないか」と思ってしまいがちです。もしも苦しいのは今日までで、明日にはすっかり元気になるということであれば、死にたい気持ちにはならないかもしれません。
「永遠に続く苦しみ」というのは、絶望を生みます。「もう死んだほうがマシ」という気持ちになってしまいます。
しかし、現実には永遠に続く苦しみというのはありません。苦しみに限らず、永遠に続くものはありません。
仏教ではこれを諸行無常と言います。
苦しい気持ちしか感じられなくて、それがずっと続いている気がしても、実際には移り変わっています。
気を付けて見てみてると苦しい感情がふと和らいだり、暖かいすきま風が入ることがあったりします。そして、いつか苦しみが終わるときがきます。
永遠に続く苦しみはないんだと知ることだけでも、苦しい気持ちが少しラクになります。
③「生きる、死ぬ」という極端な議論をしない
大事な人に「死にたい」と言われると、「死なないで!!!!」とか、「なんで死にたいなんて言うの。生きてほしい」と言いたくなるかもしれません。
「死にたい」というのは言い換えると「死にたいくらい苦しい」ということです。
死にたい気持ちの中には、「人間関係がうまくいかない」「仕事がつらい」「社会に適応できない」「孤独感が大きい」など、いろんな辛さが含まれています。
具体的に何がつらいのかを一緒に考えるとつらさから少し離れられます。
仏教には中道という教えがあります。
中道とは「両極端にかたよるな。バランスが大事」という意味です。
両極端な考えは、苦しさを生みます。
「生きるか死ぬか」という両極端な思考になってしまうと、辛さが増してしまいます。
「死にたいくらい辛いんだね。たとえばどんなことが辛いのかな」という、生と死から離れたところで、相談に乗ってみてください。
今日は、意見交換会の中の「死にたい気持ち」について取り上げました。
「死にたいと言われたらどうするか」というお話をしましたが、もしもあなたがいま「死にたい」という気持ちの場合は、自分が自分のアドバイザーになったつもりで読み返してみてください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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