『苦しみを吸い取る少女、ナラ10』公開しました。今、苦しい人、ぜひ読んでみてください。
ナラの後ろ姿の絵

 

川を離れ、田舎道を歩いて行くと、可愛い彫刻の施された建物に出会った。看板には『民俗博物館』と書かれている。こんな田舎に突然現れた、大きな宝箱のような建築に興味を惹かれたナラは、中に入ってみることにした。

受付には年齢不詳な感じの女性が一人で座っていた。ボワっとした髪が耳の横に垂れ下がり、縁の厚い眼鏡を掛けているので顔がよく分からない。ナラに気付くと女性は、

「いらっしゃいませ」

と言って笑顔を浮かべた。(ように見えた)

「あ、お金」

「お金は大丈夫よ」

財布を取り出しかけたナラの手を止め、女性は椅子から腰を上げた。

「私はモナカよ。案内するからこっちへ」

「うん」

モナカは館内の展示品を、時間を掛けて丁寧に説明し始めた。その声は、一見、暗い雰囲気の彼女から出ていると思えないほど生き生きとしていた。それによく見ると、眼鏡の奥の目はキラキラと輝いている。ナラは、彼女はこの仕事が本当に好きなのだと思った。

だけど、ナラは彼女からどこか寂しい感じも受けた。輝いている筈なのに、寂しさが滲み出ている。何だろう、この感じは。

「この模型は、三百年前のこの街を縮小したものなの。あなたの家がどの辺りか分かる?」

「あ、私は別の街から来たの」

「あら、道理で大きなリュックを背負っていると思ったわ」

モナカはまた微笑みを浮かべた。今度はじっと顔を見ていたから、ナラにもそれが微笑みだと分かった。

「あの、私はナラっていうの。お姉さんはこの街の人よね?」

「ええ、そうよ。生まれも育ちもこの街」

「寂しくないですか?」

思わず口から出てしまった質問に、ナラは自分で慌ててしまった。

「あっ、あの、すごく田舎だから、人も少ないし」

ナラの慌てようが面白かったのか、モナカが声を出して笑った。

「あはは、そうね。だけど少し行けば賑やかな商店街もあるのよ。この街は確かに田舎だけど、私は大好き。伝統的な建物や民俗学が盛んなところとかね。だから、私は旅に出たいと思ったことは一度もないわ」

厚縁眼鏡の奥の目が光を放っていた。モナカはこの街が大好きなのだ。

「じゃあ、お姉さんは幸せなのね?」

「うふふ。何だかお悩み相談屋さんみたいね」

ナラはハッとした。また、出会った人の苦しみを吸い取るモードになってしまっている。これでいいのだろうか。

ナラの頭の中に、マリアの言葉がさっと蘇って来た。

「素晴らしくて、危険な力じゃ」

危険な力……。

この力を使うと、確かにナラは苦しい思いをしなければならない。あの長い長い暗闇の底のような三分間。だけど、大事なのは人の役に立つということじゃないだろうか。ナラは自分の中の想いを改めて確認した。

「あの、お悩み相談屋さんて訳じゃないけど、人の悩みを解決するのは得意なのよ。大人の人の問題を解決したこともあるわ」

ナラの真剣な様子に、モナカも真面目な顔になった。

「んーとね、幸せいっぱいかと言われると、そうとも言えないわ」

モナカはこれだけ言うと、次の言葉を呑み込んだ。

「きっと何か真剣に悩んでるのね。たぶん、恋のことじゃないかしら」

半分くらい当てずっぽうだったが、ナラの言葉にモナカの顔が変わった。

「そうねえ、ねえ、あっちでお茶でも飲みながら話さない?どうせお客さんて、めったに来ないのよ」

「ええ、いいわ」

モナカに連れられ、ナラは小さな休憩室に入った。彼女がお茶を入れている間、ナラはちょこんと丸椅子に座って待った。

この一見大人しそうな女性から、どんな恋の悩みが出て来るんだろう。

「お待たせ」

モナカが湯気の立ったマグカップを運んで来た。口を付けると、体中に花の香りが広がった。

「ラベンダー茶よ。この街はラベンダーの栽培も盛んなの」

「すごくおいしいわ。ラベンダー畑なんて、デートにぴったりね」

ナラがわざと口にした「デート」という言葉をきっかけに、モナカがポツリポツリと話し始めた。

「私ね、今年三十歳なんだけど、三十年間彼氏がいないの」

ナラは、どう反応したらいいのか分からなかった。

「それで、もう恋人は諦めて、仕事に生きようとも思うんだけど、どうしても彼氏がいるってどんな感じだろうって考えちゃうのよ。ああ、私、こんな女の子に何話してるのかしら」

モナカは急に恥ずかしくなったようで、下を向いてしまった。下を向くと、伸びっぱなしの髪が顔にバサッとかぶさった。

「今まで、チャンスはなかったの?」

ナラが尋ねると、モナカが重たそうな頭を上げた。

「好きな人ができても、こんな私なんて好きになってもらえる訳ないって思って、アプローチできないのよ」

「どうしてそう思うの?」

「どうしてって、そりゃあ……」

モナカがまた、下を向いた。するとまた分厚い髪の毛が顔を覆った。

「今、好きな人はいるの?」

沈黙に耐えられなくなったナラが、そっと尋ねた。

「えっ」

顔を上げたモナカの目が右へ、左へと移動した。その反応が可愛くて、ナラは思わず笑ってしまった。

「だから、そんなに悩んでるのね。その人はどんな人なの?」

モナカが教えてくれたところによると、彼は最近頻繁に博物館に現れるイケメンだが、話し掛けることができていないので素性は一切不明。名前も職業も何も分からないということだ。

「展示品の説明は?」

「してないわ」

「絶対するべきだわ。説明してるときのあなたって、すごく魅力的だもの」

「でも……」

「ねっ、今日モナカのおうちに泊めてくれない?色々作戦会議しましょうよ」

「それはいいけど……」

「じゃあ、決まりね」

こうしてモナカの家に泊まることになったナラだが、実は内心は、不安だった。ナラ自身、恋愛と呼べる恋愛をしたことがなかったからだ。

 

気持ちいい陽気が博物館を包む中、ナラは美容院と眼科に行っているモナカに代わって受付をしていた。

昨夜の作戦会議、やっぱりまずは外見を整えたほうがいい、という結論に至ったのだ。

ナラも旅に出る前は学校に通っていたが、美人じゃなくても明るい雰囲気の子は男の子から人気があった。そう考えると、モナカは随分損をしている。仕事をしている時のキラキラした顔が見えるように、髪を切り、コンタクトにする。それだけで、いくらか前に進める気がするのだ。

モナカを待っている間、博物館を訪れたのは、幼い男の子を連れたお母さんと、老夫婦の二組だけだった。ナラはモナカのように展示品の詳しい解説はできないけど、今朝、モナカに書いてもらった簡単なメモを手に持ち、一生懸命説明した。下手くそなナラの説明にも、二組のお客さんはきちんと耳を傾けてくれた。

暇な数時間が過ぎ、そろそろモナカが帰って来るかなと思っていたとき、博物館の入り口が開き、若い男性が入って来た。この田舎に似合わない、カジュアルなスタイルのパリッとしたイケメンだ。ナラは彼を見た瞬間ピンと来た。きっとこの人がモナカの意中の人じゃないかしら。

モナカが帰って来ないかと窓の外を見たけれど、気配がない。ナラは男性からお金を受け取るとき、勇気を出して、話し掛けた。

「あの、展示品の詳しい説明をできるスタッフがいるんだけど、今ちょっとだけ出掛けているの。もうすぐ帰ると思うんだけど」

ナラの言葉に男性は一瞬キョトンとした表情を見せたけど、すぐに笑顔になった。

「そうか、ありがとう。じゃあ、見学しながら待たせてもらうよ」

ナラは今か、今かとモナカの帰りを待ち、十分くらい経った頃、見覚えのないお姉さんが博物館に現れた。お客さんかと思ったが、よく見ると髪の毛がすっきりし、眼鏡を取ったモナカだった。彼女は見違えるほど印象が変わっていた。ナラはモナカに近寄り、小声で話した。

「モナカ、とっても素敵よ。別人みたいだわ。それに、ほら、あそこを見て。好きな彼はあの人じゃないかしら」

彼の方に目を遣ったモナカから、緊張が走るのが分かった。どうやらナラの勘は当たったようだ。

ナラ達に気付いた彼が、こちらを見て、不思議そうな顔で近付いて来た。

「あれっ、あなたは、この博物館の……」

「あ、あの、はい……」

モナカが下を向いたまま、ボソボソと口を動かした。

「随分、雰囲気が変わりましたね」

彼が微笑むのが見えているのか、いないのか、モナカは、

「あ、あの、今日はもう閉館なんです。その、すみません」

と言い、くるっと踵を返し、休憩室に入って行ってしまった。

「お兄さん、ちょっと待っててね」

慌ててモナカを追い掛けたナラは、休憩室の隅でうずくまる彼女を見つけた。

「モナカ、どうしちゃったの、折角……」

「あ、あたし、やっぱり駄目よ。外見を変えたくらいじゃ。こ、怖いの。昔、根暗根暗っていじめられたときのことを思い出して。きっとまた駄目よ。こんな私、誰も好きになってくれな……」

モナカの言葉を遮るように、ナラは彼女を抱き締めた。すると、モナカの中にあった劣等感や卑屈といった暗い感情が、ナラの中に飛び込んで来た。

ナラも感じたことのあるこれらの気持ちは、人から自信という輝きを奪ってしまう。そして一度はまると、中々抜け出すことのできない闇に引き込まれてしまう。

三分の間に、ナラは、これまでに劣等感を持った色んな場面を思い出した。自分より人気の子や、きれいな子に会ったとき。気になる男の子が他の女の子と仲良くしていたとき。両親が家にいないことをからかわれたとき。クラスで一人、算数の問題が理解できなかったとき。何度も間違え、クラスメートに笑われているところで三分が過ぎた。

ナラはまた、いつもの明るい女の子に戻り、自然と自分の中にある、自信のようなものを感じた。

モナカが不思議そうにナラを見ていた。

「モナカ、説明はあとあと。彼が待ってるわ」

「え、ええ」

モナカはさっきまでと打って変わって、明るい表情で彼に向き合っていた。時折、笑い声もこぼれた。たぶん、これが本来の彼女の姿なのだとナラは思った。モナカの中から劣等感や卑屈な心がなくなり、自然と自信が湧いて来たのだろう。

モナカと彼が今後どうなって行くか、ナラには分からなかったけれど、モナカが素敵な女性に変わったのは間違いなかった。ナラにはそのことが嬉しかった。

 

10につづく

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