『苦しみを吸い取る少女、ナラ10』公開しました。今、苦しい人、ぜひ読んでみてください。
ナラの後ろ姿の絵

苦しみを吸い取る少女、ナラ6

物心が付いたとき、ナラの側にいたのは両親ではなく、祖母だった。山脈の盆地、山を切り拓いてできた街の賑やかな通りに、祖母と暮らす家はあった。

白が基調の横に長い平屋の、一番奥がナラの部屋だ。部屋の窓から見渡せる小さな庭は、ナラの一番好きな場所だった。祖母の手で育てられた草花の芽吹く様子や、小さな命の息吹を、幼いナラは飽きずに眺めていたものだった。

季節のないこの街では、一年が穏やかに、そよ風と共に過ぎて行った。

まだ小さかった頃、ナラは祖母と手を繋ぎ、近所の屋台にフルーツのカップを買いに行くのが楽しみだった。屋台の前にはスイカやマンゴー、オレンジなどが積み上げられていて、おじさんがその場で切って透明のカップに詰めてくれるのだ。カラフルな果物の組み合わせは、心にパッと灯りを点してくれるようだった。

フルーツカップを片手に、広場で大道芸人のパフォーマンスを見るのがお決まりのコースだった。芸人は日によって人が変わる。顔を白く塗ったお姉さんの芸がナラのお気に入りだった。彼女は全身の動きと話術で多くの人の足を止めた。彼女がいるだけで広場には活気と笑いが生まれた。ナラはお姉さんのように人々の注目を集められる存在になりたいと、密かに願ったものだった。

祖母は優しい人だったが優しいだけではなかった。ナラが嘘をついてしまったり、朝寝坊してしまったりしたときには顔の真ん中に皺を寄せて厳しく叱った。両親が家にいないナラの教育係としての責任を、祖母は一人で背負っていたのかもしれない。ナラが反省し終えると、祖母は必ずナラをギュッと胸に抱いてくれた。これが優しい祖母に戻る目印だった。

この国ではうんと小さな頃から子どもは一人で寝る風習がある。だから、ナラも一人寝には慣れていたが、どうしても寂しい夜などは祖母の部屋をノックした。

「おばあちゃん、何かお話して」

祖母はベッドからナラをおいでおいでしてくれた。ナラを自分のベッドに寝かせ、祖母お手製の物語が始まるのだった。祖母の口から語られる不思議なお話はナラの心を惹き付けた。祖母の深くて優しい声もナラが好きなものの一つだった。

カーテンの隙間から星空が覗く中、祖母の語る声に耳を澄ませた。

「昔、コネホという村に、不思議な女の子がいました。女の子は村でも目立たない大人しい子でしたが、一つだけ特技がありました。その特技のお陰で、女の子は子ども達の間では人気者でしたが、大人達は誰も女の子の特技を知りませんでした。ある日、女の子がウキウキとても嬉しい気持ちのとき、道端でうずくまっている男の子に出会いました。男の子の目からは大粒の涙がこぼれていました。女の子は男の子の側に行き、少しの間、手を握りました。すると女の子の嬉しい気持ちが少しだけ男の子に移りました。男の子が少し泣き止むと、女の子はまた男の子の手を、今度は長い間握りました。すると、嬉しい気持ちが全部男の子に移りました。女の子の中から嬉しい気持ちはすっかりなくなりましたが、男の子は嬉しい気持ちでいっぱいになりました。男の子は泣き止んで、笑顔で女の子にお礼を言いました。男の子の笑った顔を見た女の子は、また嬉しい気持ちが湧いて来ました」

「おしまい?そのあと、女の子はどうなったの?」

幼かったナラは目をぱちくりさせて祖母に尋ねた。

「女の子の話はまた今度。ナラ、今夜はおやすみ」

祖母がナラの布団を肩のところまで引き上げた。ナラは冴えてしまった頭を枕にうずめ、そっと目を閉じるのだった。

六月中旬の一週間と年末から年始にかけては、ナラにとって特別なときだった。両親が揃って家に帰って来るのだ。ナラにとっては年に二回の、たった二回の、父と母に甘えられる時間だった。

毎年、二人は一週間分の荷物だけをリュックに詰め、お土産などは持たずに帰って来た。二十五歳でナラを産んだ母はまだ若かった筈だが、おしゃれとは無縁の素朴な格好だった。アクセサリーなども付けていなかった。父も同様だった。ナラは両親というのはそういうものだと思っていた。

帰省すると、父はナラを膝に乗せて、何時間でも神様の話をした。神様の慈悲深さ、尊さ、感謝の心……。

だけどナラは話の内容よりも、父に抱かれていることが嬉しく、今自分がいるところが天国なのだと思った。父が天国を運んで来たのだと思った。父が話す間、母は側のソファに座り、愛おしそうにナラを見つめていた。母の目はどこまでも優しく、見られるものを安心させた。父と母に守られ、ナラは幸せだった。ただ、祖母だけが、固い顔でナラ達の様子を見ていた。

祖母の話によると、父と母はナラが二歳の頃、この家を出て行った。二人揃って施設に入ったのだ。その施設では同じ神様を信じる人達が一緒に生活していて、作物や牛や山羊を育て、毎日決まった時間に起きる。お祈りと瞑想をし、体にいいものを食べる。父は主に農作業を、母は子ども達の世話をしているそうだ。祖母曰く、両親は施設に入ってから体が細くなり、角のとれた石みたいに穏やかな性格になったということだった。

父と母は家を出るとき、幼いナラも連れて行こうとしたけれど、祖母の強い反対に遭い断念した。祖母は、ナラが自分の意思で選べるようになるまで施設に入れるべきではないと主張したそうだ。祖母の一人娘である母が、そのことで祖母と喧嘩するのを、どの年だったか、ナラも聞いたことがある。今年こそナラを連れて行くと譲らない母と、ナラの意思を尊重すべきとする祖母。大好きな二人が言い合うのを見たナラは悲しくてたまらなくなったのを覚えている。

 

「ある日、公園で泣いている子に出会ったとき、女の子も悲しい気持ちでいっぱいでした。飼っていた犬が死んでしまったのです。女の子は悲しい気持ちのまま泣いている子の手を握りました。だけど何も起こらず、女の子もその子も悲しいままでした。女の子とその子は一緒にいっぱい泣きました。泣いたら少しだけ悲しくなくなりました。また別の日、女の子はお母さんに怒られて嫌な気持ちでいました。そのときに広場でうなだれているお友達に出会いました。お友達は前に女の子に喜びを分けてもらったことがあったので、女の子の不思議な力のことを知っていました。だから女の子に嬉しい気もちを分けてくれるようにお願いしました。女の子はお友達の手を握りました。だけどお母さんに怒られた嫌な気持ちでいたので、お友達に嬉しい気持ちをあげることができませんでした」

祖母はここで話を切り、ナラの頬を撫でた。

雨が屋根に当たる音が響いて来る。ナラは耳を澄ませながら、静かにお話の続きを待った。

「女の子は泣いてる子に嬉しい気持ちをあげられるように、いつも嬉しい気持ちでいようと思いました。絵本を読んだり、お母さんの作ったパイを食べたり、お父さんに抱っこされたり、探してみると、女の子の周りは嬉しいことでいっぱいでした。いつも嬉しいことを探した女の子はいつも嬉しい気持ちで過ごし、女の子の嬉しい気持ちをもらった周りの子もみんな幸せでした」

話し終わると、祖母はまたナラの頬をそっと撫でてくれた。

「おしまい?」

「おしまいだよ」

祖母はナラの頬を愛情を込めて撫で続けている。

「私もその女の子みたいに嬉しい気持ちを人にあげたいわ」

ほっぺのくすぐったさを感じながら、ナラは思ったことを口にした。

「ナラも女の子のようにいつも嬉しい気持ちでいるんだよ。そうしたら、ナラにもきっと周りの子を幸せにする力が宿るから」

楽しいことを見つけるのが得意なナラにとって、いつも嬉しい気持ちでいることはそんなに難しいことではないように思えた。

「嬉しい気持ちでいるのは簡単よ」

「ふふふ。そうかね」

「だって、好きなものがいっぱいあるんだもの。絵本と、お散歩と、飛ばしっこと、チョコラテとお花と……」

「ナラ、好きなものがたくさんある今の気持ちを忘れないでおくんだよ」

祖母がナラの布団を引き上げた。おやすみの合図だ。

「おばあちゃん、私、絶対忘れないわ」

目を閉じると、幸せな気持ちがナラを包んだ。お父さんとお母さんの夢が見られますようにと、心の中でお願いしながら、ナラは眠りの中へと沈んで行った。

7につづく

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