脱うつへの道しるべを記した無料メルマガ配信中!
朝日の画像

11年のうつ病を大嫌いだった仏教で脱却しうつ経験を苦しい人の役に立てながら生きている話

 

コキリの似顔絵 

 

はじめまして。

コキリと申します。

 

この記事では、自己紹介として、

20代の10年間をうつ地獄に落ちて仕事7回やめた寺育ちの私が

子どもの頃嫌いだった仏教に出会い直して脱うつ

自らのうつ経験を苦しい人の役に立てて生きるようになった過程をお話します。

 

苦しい

ばかりで埋まってしまった心に隙間を作り

希望が入って来る

プロセスをお見せ出来たらと思います。

 

 

うつ病という苦しい経験を、同じうつで苦しむ人の役に立てることで自らも幸せになっていくということについてもお話します。

 

 

仏教って聞くと、怪しい怖い勧誘されそう難しそうと思う方もいると思いますが、

怪しくて難しい仏教

ではなく

仏教って脱うつに役立つんだ

というのをお伝えしています。

 

 

私自身、

実家がお寺なので、子どものころには強制的に

正座をさせられたり

お経を読まされたりして反感を抱いていたので、特にはじめは仏教に拒否反応を示しました。

 

だけど脱うつした今では、

仏教って特別なものじゃなく私たちの生活に根付いてるんだ。

そもそも仏教が何なのか分かっていなかったけど苦しみを取り除く考え方のことだったんだ。

辛い修行ではなく仏教の教えがうつの心をラクにしてくれるんだ。

 

と思っています。

 

 

仏教って変な勧誘されそう。

もうお経や正座は勘弁して。辛い修行もいや。

仏教でほんとうにうつから脱出できるの?

 

と疑っていた私が

どんな葛藤を経て、仏教での脱うつ街道を歩み始めたのか?

 

10年ものうつ地獄で仕事も7回辞めてもう治らないと諦めていた状態から、

具体的にどうやって

最終的には11年に及んだうつ病から脱却し、自らのうつ経験を役立てることで生きがいを見つけるに至ったのか?

 

この過程を物語としてまとめました。

 

では、本題に入る前に簡単に箇条書きで

現在のコキリを紹介しておきます。

 

・脱うつオンラインサロンを運営している。

自らのうつ病・脱うつ経験をブログやメルマガ、SNSなどで発信している

・整体と中国語通訳・翻訳の事業も行っている。

・仏教の先生に出会ってから1年で10年以上飲んだ抗うつ薬をやめ、うつの症状や自傷行為がなくなった

・脱うつしてからは憧れの小説家に会いに行ったり趣味の読書・映画に没頭したり同じうつ病で苦しむ人の相談に乗ったりして過ごしている。

・うつのときには考えられなかった「心から笑う」ということが毎日できている。

・仏教をやっているといっても宗教団体などには属していない。

 

こんな感じです。

 

10年以上飲んだ抗うつ薬をやめられたことがうつ脱却の目安になりました。

毎日心から笑顔になれるというのが地味にすごくよかったことです。

未来に希望を感じられる状態を保てている。

これが1番大切だと感じています。

 

また、

うつ病になって回復して終わりではなく、うつ病や脱うつの経験を人の役に立てることでお金も稼げるようになりました。

 

うつ病の人の中にはなかなか働きに行けず大変な方も多いので、うつの経験を生かして少しでも稼げるようになったら未来の道が広がると考えています。その方法もお伝え出来たらと思います。

 

 

うつ病期の私というのは、

仕事中に動けなくなったり
友達の結婚式をすっぽかしたり

自傷行為の写真を母や友達に送りつけたり(ホントにすみません)
抗うつ薬を勝手にやめて発狂したり

ホントにやらかしていました。

 

うつ病になったことを受け入れられず逃げてばかりいた私が一体どうやって変わっていったのか?

 

それでは、

子どもの頃嫌いだった仏教に出会い直して脱うつし、
自らのうつ経験を苦しい人の役に立てて生きるようになった過程

を物語形式でお話していきます。

大学合格して嬉しいはずなのに、なぜか胸に強い苦しみを感じた

悲しい, 意気消沈した, うつ病, 悲しみ, 若いです, 人, ストレス

 

友達に囲まれ明るく楽しく過ごした高校生活。

必死に受験勉強に取り組みようやく念願の大学に合格した3年生の終わり、何故か胸に強い苦しみを感じた。

 

それまでの生活で「苦しい」なんて言葉を発したことがなかった私にとって、衝撃的な出来事だった。

 

合格して嬉しいはずなのに、なぜ苦しいのか。

自己分析してみると、実家(徳島県)を離れて県外(高知県)の大学に行くことが不安だった。

県外に行くくらいでこんなに不安を感じるなんて、自分はすごく弱い人間」なのではないかと思い、余計苦しくなった。

 

 

それまではしんどいと思っても、たくさん眠ったり漫画を読んだり友達と話したりすることで解消していたのに、このときはどれをやっても効果がなかった。

面白いはずの漫画が面白くない。楽しいはずの会話が楽しくない。いくら寝ても苦しいままだった。

 

 

高校の同級生たちはみんな大学進学を前に運転免許を取りに行ったり、最後の高校生活を楽しもーとはしゃいでいたり、キラキラしていた。

もちろん不安もあったのだろうが、私みたいに、

ゆううつ。苦しい。助けて。

というレベルまで落ちている子はいないように見えた。

何でみんなと同じように楽しめないんだろうと私はますます落ち込んでいった。

 

 

このときはまだ、自分がうつ病とは気が付いていなかった。

「うつ病」という言葉すら浮かばなかった。

 

自分の力でどうにもできない苦しさに、

なにこれ?!

苦しい。

怖い。

私どうなっちゃうの?

と焦って焦って焦りまくった18歳の私は、友達に言う勇気がなかったのでこそっと大人に相談してみた。

 

父に相談すると、

「俺も苦しいことなんてしょっちゅうやぞ」と言われ、
もしかして自分だけじゃないのかなと思えた。

 

塾の先生に相談すると、

「今からそんなに悩まんでもええ。お前やったら書道の先生や塾の先生とかもできるやろうし。大学行ったらいろんな出会いもあるし、道は色々あるけんな」と言ってもらい、将来の道を前向きに探してみようと思えたことで少しよくなった。

 

人に相談するって大事なんだな

ってこのとき分かった。

 

さらに、大学寮に入って友達ができ不安を共有できたことや、毎日が修学旅行状態になって楽しくなっていったことでほぼ、回復。

 

「弱い自分を変えたい、強くなりたい」と思い、大学では空手部に入部したり、寮の役員に立候補したり留学生とのイベントを企画したり、積極的に活動した。

大学3回生時、親の離婚をきっかけに再び苦しくなる

女の子, 悲しみ, 孤独, 悲しい, うつ病, だけで, 不幸です, 苦しみ

 

大学に入学して2年くらいは、「強くなること」を1番の目標にし、寮の役員や、部活、授業、アルバイトなどに励んだ。

 

しかし、3回生時に、両親が離婚

 

頭では「離婚なんてよくあること、大丈夫」と思いながらも、心がおかしくなった。

「平気平気」

と自分に言い聞かせるほどつらくなっていった。そして、

大学合格時に感じた「苦しさ」が再び蘇ってきた。

 

胸が詰まり、重たい。

頭が働かない。

不安も感じる。

そして激しい焦りも感じた。

 

いくらでも休んだし、いくらでも眠った。それなのに苦しさが出て行ってくれない。解決方法が分からなかった。 

「苦しい、どうしよう、どうしよう、どうしよう」

 

 

これでもまだうつ病かもという考えは浮かばなかった。

「うつ病」というのは自分とは関係のないところにあるはずの言葉だった。

 

私は、なんとかしなきゃと焦り、思い付いた方法が足を動かすことだった。

 

ひたすら大学近くの田舎道を歩いたり、山梨県の仏教系の大学に通う兄に会いに行き大自然の中に身を置いたりすることで、少しずつ回復していった。

 

このころは、とにかく動くことで苦しさを胸から追い出そうとしていた

1ヶ月後、交通事故により本格的にうつ発症

救急車, 医学, 病院, 保健医療, 急性期管理, マシン, サービス, 救急車

 

兄に会いに行ってからわずか1ヶ月後、私は救急車の中にいた。

 

先輩と友達と3人で洞窟に遊びに行った帰りに、事故に遭ったのだ。

額を15針縫う手術をした。しばらくは、体の痛みで動けなかった。

手術後は顔がパンパンに腫れて、漫画みたいだった。

 

心がおかしくなったのは、体が少し回復して、思考が戻ってきた頃だった。

頭では、

「事故は仕方なかった、すぐによくなる」

と思っていたはずなのに、胸が苦しくなった。

苦しくて何も手につかなくなった。

 

え?
ナニコレ?

これまでと違う……。

この絶望さえ感じさせる苦しさは一体なんなんだろう。

 

胸の重苦しさはどんどんひどくなっていき、食い止めようと楽しいことを思い浮かべたり、実際にやろうとしてみたりしたけど効果はなく、私の中から喜びや希望が薄れていき、ついには布団から起き上がれなくなってしまった。

 

この頃初めて、この苦しさがずっと続くなら生きていたくないと思った。積極的に死にたい訳ではなく、生きていたくない。

このときまで頭に自殺が浮かんだことは一度もなかった。

自殺というのは自分の人生とは関係のないことだと思っていた。

死ぬほど辛いなら逃げるのもありだと思っていたし、死んだら家族や友達が悲しむとも思っていた。

だけど逃げられない苦しみがそこにはあった。苦しみが影のように後ろをついてきた。

 

いよいよおかしいと思った私は、ここで初めて葛藤の末、精神科の門をくぐった。

そして「うつ病」と診断されたのだ。

 

すぐに服薬を開始したものの、トイレにすらなかなか行けない状態が続いた。

無理やり大好きな漫画を読んでも、毎日楽しみだった寮食を口に押し込んでも、友達と話しても、苦しいままだった。

 

楽しいことが楽しくない、おいしいものがおいしくない、面白いものが面白くない、だからこそ苦しいのだと知った。

 

10キロ近く痩せた。

授業も1ヶ月以上休んでしまった。

痛みで苦しさを紛らわすために、初めて自傷行為もしてしまった。

 

一体なんで、こんなに苦しまないといけないんだろう。

人生に絶望しかけたが、服薬と長い休息と、大学の先生や友人の励ましで、何とか大学に復帰した

大学の先生の優しい計らいで、たくさん休んだにも関わらず単位も落とさずに済んだ。

回復に向かったはずが3か月後には再び地獄へ

苦しいうつは、少しずつ確実に体から抜けていった。だんだんとできることも増え、ほとんど元通りの生活に戻ることができた。

 

「うつが治った。よかった」

 

治ったのだからもういいだろうと、病院に行くのをやめ、薬を飲むのもやめてしまった。

再び授業に、部活に、アルバイトに、遊びに精を出した。

元気になったあとでうつ病だったことを考えると、まるで夢の中の出来事のように思えた。

「本当にあんな苦しいときがあったのかな」

と友達に話すほどだった。

うつ病期の悲惨な自分を思い出すと恥ずかしく、あれはなかったことにしようと思った。

 

 

しかしながら、大学に復帰して3ヶ月

胸のほうに身に覚えのある違和感を覚えた。

何とも表現できないイヤーな感じ。

あの苦しさが再び来るという予感のようなもの。

 

うわ。

やめて。

もうイヤだ。

怖い。

 

予感からまもなく、またあの苦しさがやってきた。

交通事故のあとほど、ドーンと落ちることはなかったが、軽いうつの波を繰り返すようになってしまったのだ。

 

何となくやる気がでない。布団から起きられない。楽しくない。ゆううつ。

↑こんな状態が続くようになった。

 

 

まだ、頭が働いていたので、このころ、ネットや本でうつ病について調べまくった

そんなことは回復したときにやっておけばよかったのだが「治った」と思い込んだ私は、うつ病について調べることをしていなかったのだ。

 

 

調べた結果、うつ病は脳の病気だが、まだよく分かっていない部分も多いということが分かった。

 

治療法としては、休養、薬、精神療法、運動、朝日等が主だとのこと。

また、うつになりやすい性格というのもあるそうだ。

真面目で融通が利かないなど、自分に当てはまる気がした。

 

そこで、私は、性格改造をやってみた。

完璧主義の性格が自分を苦しめているんじゃないかと思い、100%を求めないようにした。

また、自分を縛っているルールを見つけ少しずつゆるめていった。

1日1ページ書いていた日記を「書きたいときに好きな量だけ書けばいいや」ということにしてみたりした。

クセや習慣をすぐに変えることは難しかったが、ゆっくりと取り組んでいった。

 

不調を感じたら長めの休息をとり、医者とも相談して薬を再開し、散歩したり前向きな考えを紙に書いて部屋に張ったりと色々してみた。

 

 

うつ病になったことを

「恥ずかしい」

「受け入れたくない」

「隠したい」

「でも苦しいのは誰かに分かって欲しい」

と思っていたのを、

病気の私も私。受け入れよう。

と努力してみたりした。

 

しかし、

完治することはなく、軽いうつの波を繰り返し続けた。

 

ここから11年に及ぶ、

うつ病再発地獄が始まったのだ。

うつを抱えながらも夢だった海外生活を叶えるため、中国、コロンビアへ

航空機, 日没, シルエット, 雲, 空, 夕暮れ, ミステリー, 飛行機

 

ギリギリの状態で何とか大学を卒業し、

「日本語教師として世界を周る」

という夢を叶えるため、準備を開始した。

 

もともとは高校教員になろうと思っていたが、大学を卒業してすぐに教師になっても経験は浅いし大したことは教えられないと感じていたのに加え、外国にも興味があった。とにかく自分を成長させたいと思っていた。

 

そんなときに、大学の中国語の先生(台湾人)から、

視野を広げるならここより大きな世界を見たほうがいい。中国語を学ぶなら台湾より中国大陸を体感したほうがいい。大きなものを見たほうがいい。30歳くらまで勉強してても構わないから経験を積むことが大事」

と言われたことで目が覚めた。

 

それまで、

大学を卒業したら就職しないといけない

言葉の通じない外国は怖い

と思っていた私の価値観を変えてくれる言葉だった。

 

私は、

30歳くらいまで勉強しててもいいんだ。よし、卒業後は、視野を広げるため外国へ行こう!と思い日本を飛び出す決意をしたのだ。

 

うつを抱えながら、実現できるか不安だったが、今行かないと一生後悔すると思った。

日本から遠く離れたら苦しさから逃げられるかもしれない

という気持ちもあった。

 

そこで、主治医に相談したら、
「本当はダメだけど」
と言いつつ薬をたくさん出してくれた。(感謝してます)

 

 

1か国目は、先生の話を聞いて絶対行きたいと思った
中国
に決めた。

日本の約25倍もある中国のスケールの大きさを肌で感じてみたかったし、中国語もきちんと勉強したいと思った。

 

こうしていざ、中国(安徽省合肥市あんきしょうごうひし)へ。

はじめの3か月は中国語クラスを受講し、その後は日本語教師として働き始めた。

 

中国の生活の中で、

自己主張しないと生きて行けない
という問題はすぐに現れた。

 

そもそもの人口が多く、食堂での注文もタクシーを拾うのも待っていては永遠に順番が来ない。

並ぶという習慣がないため、食堂では注文口に人が殺到。

頑張って前に出て大声で注文したいメニューを叫ばないと食事にありつけない。

タクシーも争奪戦で、止まったと思ったら走って行って行先を告げないとすぐに他の人に取られてしまう。

 

要するに、強くないと生きていけなかった。

 

はじめこそ戸惑ったけど、生活する上でだんだんと私自身も強く、図々しくなっていったと思う。

 

 

うつ病の症状が出始めたのは、1年を過ぎたくらいからだった。
またしても軽いうつの波が頻繁に行き来するようになってしまったのだ。

 

外国の地でベッドで1人うつの波と戦っていると、孤独と不安と恐怖にやられてしまいそうだった。
しばらく再発していなかったことで安心していたのに、結局また繰り返している。
中国で暮らしてだいぶ強くなったように感じていただけにショックだった。

 

自分の弱さと対面するのは辛かった。

嫌なイメージばかりが頭の中をグルグル回り、自分で自分を攻撃し、しまいには全人類が敵になって批判してくるという妄想に憑りつかれた。

 

だめだ、壊れる。

 

日本から持って来ていた抗うつ薬を再開し、仕事を減らし、友達と過ごす時間を長くした。

うつは時間をかけてゆっくりと回復に向かっていき、重症化は防ぐことができた。

 

 

中国での生活がもうすぐ2年になるという頃、そろそろ国を変えてみようと思った。
アジア以外の国を見てみたいという気持ちが強くなっていた。

 

そこでスカイプで面接を受け、合格した南米、コロンビアの日本語学校に勤務することに決めた。

 

南米というのは未知の世界だったのだが、

地球の裏側を見てみたい、体験してみたい!

という好奇心の方が勝ってしまい、コロンビア(首都のボゴタ)での生活を始動した。

たぶん中国で2年間を過ごし、肝っ玉が大きくなったんだと思う。

 

 

しかしながら……

出発前にはどんな生活が待っているんだろうとワクワクしていた私も、実際に住んでみると日本とのあまりの違いに中々ついていくことができなかった。

 

旅行で来ているなら

わあ、日本と全然ちがう!おもしろーい

で済むかもしれない文化の違いが、生活するとなると重くのしかかってきた。

 

毎日の通勤に使う暴走バスやコロンビア料理(おいしいが種類が少なく飽きる)、意思疎通の取れないスペイン語など、好奇心だけでなんとかなるほど生活は甘くなかった。

 

2年間の就労ビザをとっていたにも関わらず、文化や言葉や習慣の違いに慣れることができず体調を崩しがちになり、強盗にも遭い(お金、ケータイ、ノートパソコン盗られました)、わずか7ヶ月で帰国することになってしまった。

 

 

日本に帰る飛行機の中で、

もう海外を放浪するのはやめよう

と思った。

 

心のどこかに

日本から逃げ出せば楽になるのではないか

という期待があった。

どこかに苦しみのない世界があるかもしれない

と、子どもみたいなことを考えていた。

 

だけど、そうではないことが分かった。

いくら環境を変えても、苦しさを生み出す自分が変わらない限り、苦しみはどこまでもついてくる。自分からは逃げられない。

自分自身の経験としてそれを悟った。

 

しかし、得たものもたくさんある。

海外生活を経験して1番よかったことは、

視野がぐんと広がった

ことだ。

多様な文化に触れ、日本で育んだ価値観だけが全てじゃないと実感した。

生きている世界が広く大きくなった感じだ。

要するに生きやすくなった

 

また、

自分自身が強く図々しくなれたことで、以前ほどびくびくしなくなったし、生きる恐怖が少し減った。

 

そこはよかったことだと思う。

海外まで逃げてもうつは治らなかった。さらに東京で「仕事を得る→うつで辞める」を繰り返す

 

さて、コロンビアでの生活を終え、成田空港へ降り立った私は、10日間ほどを浅草のゲストハウスでのんびり過ごした。浅草の街を散歩したり、ゲストハウスにいる外国人と雑談したりした。

そうこうしているうちに、都会の雑多な雰囲気を気に入り、地元の徳島に帰ることはせず、東京で仕事を探すことにした。

 

ここから、現在まで続く東京生活が始まるが就職→うつで辞めるを繰り返してしまった。

 

はじめはやるき満々なのだが、数か月経つと、体と心が言うことを聞かなくなった。

ゆううつ。

苦しい。

辛い。

やる気が出ない

という状態になってしまった。

 

それでも我慢して仕事に行き、いよいよ起き上がれない状態になるまで働き続け、そこでパタッと電池切れ。

「すみません、うつで動けないんです」

と同僚や上司に連絡し、辞めることになってしまった。

 

知的障害者施設のスタッフ

ドーナツ工場アルバイト

火鍋のお店夜勤

中華食堂ホール兼通訳

日本語家庭教師

とうつがひどくなりやめてしまい、

 

6つ目の仕事をしていた29歳のとき、思わぬことがわが身に起こり絶望してしまう。

難病「膠原病SLE」を発症。さらにうつも重症化。絶望する。

 

これまでに学んできた中国語を生かし、百貨店で免税手続きの仕事をしていた29歳。

顔に赤い発疹が出始める。

気になって皮膚科に行ったところ、医者から膠原病こうげんびょう内科を紹介された。

 

色んな検査をした結果、難病の「膠原病SLE」と診断される。

免疫が敵ではなく自分の細胞を攻撃してしまう病気らしい。

攻撃してしまう場所によって、筋肉が痛くなったり肺の炎症が起きたり腎臓の障害が出たりといろんな症状があるらしい。

そこで免疫抑制やくを飲み始めた。

軽症なので、日常生活は普通に送れるとのことだった。

 

しかし、ショックだった。思った以上にショックだった。

「風邪引かないこと」

「紫外線浴びないこと」

「疲れすぎないこと」

「子ども産んだら悪化するかも」

医者から告げられた言葉が、頭から離れなくなった。

 

紫外線が浴びれないというのは日常生活をかなり面倒にしてくれた。

帽子、サングラス、フェイスカバー、アームカバーなどちょっと出掛けるだけでも完全防備しなくてはならない。

当然、海など紫外線の強い場所に行くこともできない。

 

子どもを産んだら悪化するかもしれない

というのも胸に重くのしかかった。

 

子ども、1人くらい産みたいな。1人ならいけるかな。でも病気が悪化するのはいやだな。

とか、いろんなことを考えては、人生を悲観した。

 

そして、難病になったことでショックを受ける私に追い打ちをかけるように、しばらく重症化していなかったうつがこれまでに増してひどくなって襲い掛かってきたのだ。

 

死んだ。

絶望した。

子どもの頃大嫌いだった仏教に出会い直す

仏像の写真

 

大切にしていたアルバムを引き裂いたり、リストカットした箇所を撮って母や友達に送ったりと異常な行動を抑えられないまま5ヶ月を過ごし、少し回復したタイミングでレストランの中国語スタッフの仕事を始め、1回出勤しただけでダメになるという最短記録を打ち出し、うつで仕事を辞めるのが7回目になったころ。

 

私はシェアハウスの自室で、どこかに解決方法はないものかとネットサーフィンをしていた。すると、とあるサイトを見つけた。

 

そのサイトにはこんなことが書いてあった。

「仏教は宗教ではありません。苦しみを取り除く考え方のことです」

 

初めてこれを見たときは、

うーわ。仏教かあ。

蘇る子どもの頃の記憶。

正座、お経、お墓の掃除。暗い。怖い。

うーん、無理。

といつもの仏教嫌いの考え方が出て来て拒否反応を示し、私はパタンとそのサイトを閉じた。

「仏教とは苦しみを取り除く考え方」という新しい視点

暗闇を照らすライトの画像

 

しかしながら、

仏教は苦しみを取り除く考え方

という言葉が気になっていた私は、サイト運営者の先生のブログを覗いてみた。

 

ブログによると、

「仏教は本質的には宗教ではない。神様はいないのだから。
仏教の開祖、シャカは裕福な王子様として生まれ贅沢な生活をしていたが、この世の逃げられない苦しみ(老いること・病気になること・死ぬこと)に気付き、どうにか苦しみから救われる方法を探し求め、29歳のとき修行の旅に出た。

中略

……6年後、ついに苦しみから解放された境地に達した。(悟ったともいう)
その後は、苦しみを取り除く方法(仏教)を80歳で亡くなるまで説いて回った。
仏教とは人間がこの世の苦しみをいかに克服するかという考え方のこと」

という内容が書かれていた。

 

仏教が宗教かどうかという問題は置いておいても、

彼の話には難しい仏教用語が少なくて分かりやすく

 

仏教って苦しみを取り除く考え方のことなのかー。

私のうつの苦しみも取り除いてくれるかなあ。

初めて仏教に興味を持った

 

実家のお寺に住んでいた子どもの頃は、仏教といえば、

強制正座

強制読経

足痛い。お経って何か暗くて怖い。

と思っていたので、そもそも仏教って何なの?

ということがさっぱり分かっていなかった。

 

それが、先生のブログを読んだあとは、

この先生と仏教に興味が湧いてしまったのだ。

やっぱり怖い、怪しい、と思いなかなか行動できなかった

 

先生に会うチャンスはすぐにやってきた。

仏教セミナー

が開催されるとブログに書かれていたのだ。

 

わあ。

直接会って話してみたいなあ。

と思いつつも、私は警戒心で依然として

怪しい。怖い。勧誘されそう。

と思っていたので、会いに行く決意ができなかった。

 

 

その間も、うつ地獄の中で苦しみもだえていた。

このまま、苦しみながら人生を終えるんだろうか。

 

 

嫌だ、
嫌だ
嫌だ

 

 

やっぱり先生に会いに行こう。

当たって砕けよう。

 

このときの私は仕事を辞めていて障害者年金をもらって生活していてほんとにお金がなく、セミナー費や交通費さえも出すのが惜しかったがもうそんなことは言っていられなかった。

 

動かないと何も変わらない。

何よりもこのまま苦しみ続けたくない。

ここから私の運命がゆっくりと動き出す。

勇気を出して先生の仏教セミナーに参加してみた

線路の写真

 

先生に会ってみると、物腰柔らかそうなおじさんという印象だったが、どこか近寄りがたい雰囲気が感じられた。
そして、先生の話はまるで異次元だった。
人生がぶっ飛んでいたのだ。

 

 

だけど、実績よりも1番すごいなと思ったのは、先生から醸し出される雰囲気だった。

優しいけど威厳がある。

近寄りがたいような、でもこの人と関わっていきたいと思わせるような雰囲気。

 

先生いわく、
人は自分と向き合うことが怖い。だから逃げたり、ごまかしたりしてしまう。私は仏教の考え方を使い自分自身と深く向き合って、人生の希望を取り戻した人をたくさん見て来た。うつを改善した人も多くいる」

とのこと。

 

さらに、
「苦しいのは苦しい自分に執着しているから」

という話をしてくれた。

 

人は自分に執着しているうちはずっと苦しい。
自分の苦しい感情から、1歩離れてみる。
自分自身から離れてみる。

 

自分と距離をとるためには、まずは自分自身とがっつり向き合うこと。イヤというほど自分と向き合うとそのうち自分の外へと目が向いて来る。

 

意識を

自分→家族や親しい人→友人→知り合い→社会→世界→宇宙へと広げていく。

意識が広がると心が広がる。心が広がると苦しくなくなる。

とのことだ。

 

先生の言葉は、それまで、

うつ病いやだ。認めたくない。

と思い、うつ病の自分から逃げ出そうとしていた私の心をガツンと覚ましてくれた。

苦しみを取り除く方法を知って……

この先生の優しくも威厳ある雰囲気と、たくさんの苦しい人を救って来たという話を聞いて、

 

仏教って怪しい。怖い。勧誘されそう。

という思いよりも、

 

具体的にどうすればいいのか?

何をすればうつの苦しさから解放されるのか?

が知りたくなり質問してみた。

 

先生は、

「ペンとノートを用意して。

まずは自分の立ち位置を知ることから」

と言われた。

 

え?ペンとノート?

と思ったが私は先生から言われた通り、ペンとノートを準備した。

 

それで先生から出される、仏教の教えを使った自分と向き合うための課題を1つずつこなしていった。私が仏教と聞いて恐れていた、

お経。正座。修行。変な勧誘。

とかは一切なく、ひたすらペンとノートを使って自分と向き合った。

 

うつ病の自分から逃げ続けていたので、はじめは弱い部分を認めたり自分のイヤなところを見つめるのが辛かった。だけどやっているうちに心が少しずつラクになっていった。

 

仏教といっても、お経読んだり修行したりするんじゃなく仏教の考え方を使って自分と向き合っていくという方法もあるんだな。

とこれまでの仏教のイメージとは違うやり方に驚いた。

 

宗教団体などの勧誘をされることも一切なく、私の勝手に恐れていたような怖いことは何も起こらなかった。ただ静かに仏教を学び自分と向き合っていく、という感じだった。

 

さらに、先生は、

①仏教の教えを使って自分から逃げずに向き合うこと

②人生の目標に向かって行動すること

この2つを同時に行うといい。うつ病というのは自分の中の苦しい感情に囚われている状態だから、自分の内面と向き合いつつも、外に目標を設定して動いたほうがいい。

と言われた。

 

私は自分と向き合いつつも、人生の目標に向かって何をすればいいかを考えた。

そこで思い付いたのが、10年以上のうつ病の経験を、今うつ病で苦しんでいる人のために役立てよう。うつ病についてSNSやブログなどで発信してみよう。うつ病相談とかもいいかも。

ということだった。

 

人生の目標ができると、将来に希望が見えた気がして私の気持ちも前向きになった。

未来の希望が見えるかどうかで精神状態がこんなにも変わるのかと実感したりした。

1ヶ月後には、声を出して笑えるようになっていた

笑顔の女の子

 

先生に言われた通り、私は

自分と向き合いつつ、目標に向かって行動する

を実践した。

 

自分と向き合っていると、うつ病になった本当の意味とか人生で大切にしたいこととかいろんなことが見えてきて、

苦しい

ばかりだった心に隙間というか余裕ができてきた

これが先生の言う心が広がるということなのかなと実感した。

 

先生にも

心が広がるというのがどういうことか分かって来たみたいだね。

と褒めてもらえた。

 

また、うつ経験発信のためにSNSなどの勉強をしたり試行錯誤したりしていると、意識がうつ病以外のところにに向くので

うつで苦しい

ということを感じない時間が増えた。

 

で、1ヶ月後には久しぶりに声を出して笑っている自分に気付いた。

あれ?

私、今、心から笑ってない?

この間までうつ地獄で自殺まで考えていたことを思うと、なんだか奇跡のような気分になった。笑

 

もちろん、落ち込む日もなかなか動き出せない日もあって急にうつが治ったということではないが、日々の生活の中で、

あれ?うつになる日が減ったな。

なんか、楽しいな。

と思うことが増えていった。

うつ病の症状が出なくなった幸せ。人の役に立てる喜び。

女性, 幸福, 日の出, シルエット, ドレス, ビーチ, 自由, 呼吸, 喜び

 

それからも私は先生の教えを実践し続けた。

 

その結果、

1年後には10年以上飲んだ抗うつ薬をやめることができた(急にやめたのではなくゆっくり減らしていった)

うつの症状が出なくなり、リストカットなどの自傷行為もやめられた。

 

うつ病経験をSNSとメルマガやブログで発信しはじめ、脱うつオンラインサロンを運営するようになり、今うつ病で苦しんでいる人の役に立てるように活動を始めた。

 

さらに、興味のあった中国語や整体の事業を始めたりと、夢が広がりいろんな挑戦をするのも怖くなくなった。

 

そして、毎日心から笑う。大好きな小説や映画を楽しいと感じられる。憧れの小説家に会いに行く。
など、うつで死んでいたときにできなかったことが再びできるようなっただけでなく、失った青春を取り戻すことができた。

私がこの記事で伝えたいこと

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

最初は、

仏教なんて胡散臭い

と思っていた私が脱うつして、うつの経験を人の役に立てるようになったお話をしてきました。

 

脱うつとは常に未来に希望が感じられる状態

だと感じています。

 

冒頭でも話したように、私は10年に及ぶうつ地獄に
自殺が頭に浮かぶくらい苦しんでいました

 

 

これを読んでいるかたは、過去の私のように

うつ病で苦しくてどうしようもなくなっているかもしれません。

 

では、どうすればいいのか?

 

まずは、

うつ病になった自分から逃げないと決めること

ここから脱うつへの道は始まります。

 

私みたいに逃げ続けると辛い時間が続いてしまいます。

苦しみから抜け出せないんじゃないかという錯覚にも陥ってしまいます。

 

仏教で脱うつ

というのはうつになった自分と向き合っていくことで、苦しみで埋まっている心に隙間を作っていきます。

やってみると心がラクになっていく感覚が分かります。

 

 

仏教で脱うつってどんなものなんだろうと気になった方は
メルマガを読んでください。

 

無料ですし、いつでも解除できます。

 

メルマガではもっと詳しく

仏教を使っての脱うつへの道を学べるようになっています。
また、うつ病経験を人の役に立てる方法なども話しています。

 

 

私には今、目標があります。

脱うつに特化した仏教を分かりやすくまとめてうつで苦しんでいる人に届くようにすること。

うつ病の経験を人の役に立てる仲間を増やすこと。

 

 

うつで仕事も続かず
年だけ取っていき
もう生きる道など
残されていないという絶望感。

 

明るく楽しく生きて行きたいはずなのに
うつという病気に阻まれ
色んなことを諦めながら生きていく。

 

こんな過去の私のような人を1人でも減らしたいと願っています。

 

 

まずはメルマガで

脱うつ仏教

ってどんなのだろう?というのに触れてみてください。

 

では、メルマガでお会いできることを楽しみにしています。

 

「仏教で脱うつへ」無料メルマガ登録

管理人のブログ

うつ病の人に役立つ情報を掲載しています。

ぜひ、ご覧ください!

 

朝日の画像
最新情報をチェックしよう!
>無料メルマガ発行中!

無料メルマガ発行中!

なぜコキリは11年も苦しんだうつから脱却できたのか。「脱うつへの道しるべ」が受け取れるメールマガジン配信中です。脱うつ仏教の教え。

CTR IMG