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哀しみに暮れる女の子

競争社会の中でうつ病は負け組なのか?

 

こんにちは!コキリです。

 

東京オリンピック(2020)が幕を閉じて10日が経ちました。

私はあまりスポーツを見るほうではないですが、サッカーだけは好きで見ていました。

コロナ禍での開催はどうなのか、感染者増やすだけじゃないかと思っていましたが、やると決まったからには選手は応援しなきゃと思い直しました。

 

 

選手の方たちが本気で頑張っている姿を見て、私もたくさん元気をもらいました

 

 

一方で、アメリカの体操選手シモーン・バイルスが精神状態を理由に競技を棄権したり、テニスに出場した大坂なおみはうつ病を告白していたりと、最近では選手の精神問題が報道されるようになってきました。

 

 

以前はトップアスリートが弱い面を見せてはいけないという風潮がすごく強かったのが少しずつ変わってきているようです。

 

 

すさまじい競争の中に生きているオリンピック選手。
そのプレッシャーは計り知れないと思います。

 

 

今日は、

競争社会の中でうつ病は負け組なのか?

そもそも競争は人を幸せにするのか?

さらに

仏教における競争の位置づけについて。

お話していきます。では、始めます。

オリンピックがもたらしたプラスの感情とマイナスの感情

東京オリンピック(2020)の画像

 

東京オリンピック(2020)が私達にもたらしたいい方面の感情をまずは見て行きたい。

 

 

私の場合、

・選手陣、めっちゃ本気で頑張ってる。なんか元気もらえるな。

・私も頑張ろう!

・アスリートが結果残してお金いっぱい稼いで、慈善事業に使ってくれる選手もいっぱいいるから困ってる人のためになっていいなあ。

・友達とオリンピックの話題で盛り上がって、久々に楽しかった。

 

 

元気がもらえた
というのは、今回のオリンピックでは非常に大きいことだった。

 

 

私の住んでいる東京都は相変わらず緊急事態宣言が出ていて、遊びに行くこともほとんどできない状態だったから、鬱屈とした気分に新鮮な風を運んできてくれた。

 

 

誰かが
本気で頑張っている姿というのは見ていて

勇気をもらえる。
自分も頑張ろうと思える。

そこが1番よかった。

 

 

選手のみなさんが人々に元気を届けているのを見て、自分も誰かを元気にできたらなあ、したいなあ、と思ったりした。

 

 

慈善事業については、アスリートが寄付などを行うと、売名行為だとかなんとか叩かれることもあるのだが私は全然いいこと、むしろすごくいいことだと思っている。

だって、私に何千万寄付しろと言われても無理だし、アスリートが病気の子どもとか被災地とか色々助けてくれているのは事実なのだ。

 

うん、やっぱりすごいぞ。
アスリートたち。

 

と改めて思った。

 

 

友達とひさびさに盛り上がったのも大きかった。

もう、コロナのおかげで暗い話題が多かったので、

ドイツのあの選手かっこいい、だの
空手の型を見てスカッとした、だの

えらく友達と直接、またはSNSを通して楽しい時間を過ごさせてもらった。

明るい話題を提供してくれて、感謝している。

 

 

では、悪い感情はどうか。

・トップアスリートは注目されてお金もいっぱいもらえていいなあ。それに比べて自分は大したことないな。

・日本の金メダル、歴代最高数。すごーい。もっと獲れーーーー。

・あー、何でそこでファール取るんだーーーーーー。あほーーーーーー。笑

 

 

トップアスリートは人一倍努力して結果を残しているんだから、お金いっぱいもらえて注目されて当たり前かもしれないが、でも人一倍頑張って必死にやってもトップになれない人がほとんどなのが現実だ。

 

 

で、すごい人を見て生まれる感情が、劣等感卑屈だ。

自分は全然だめだな、仕事も結果を残せてないし。

とか

あーあ、生まれつき運動神経とか容姿とか学力とか優れてる人はいいな。自分はただの凡人だな。

とか。

劣等感や卑屈などの感情を生み出してしまうことは競争のマイナス面である。

 

 

また、メディアがメダルの数ばかりドーンと報道していたが、それを見て、一喜一憂してしまう人も多い。↓

 

東京オリンピック(2020)のメダル数

 

私も、

「おっ!今日は日本が1番に躍り出た。よっしゃ」
「あら、中国に抜かれたよ」
「うわっ。やっぱりアメリカには勝てんか」

とか、中国人の友達と言い合っていた。笑

 

 

それは、ただ友達と楽しんでいただけだからいいのだが、本気でメダルの数で、

日本やれー
1番になれーーーーーーーー!!
負けるなーーー

となってしまうと、これは逆にしんどくなってしまう。

 

 

なぜなら

勝てば幸せ、負けたら不幸という考えは苦しさを生み出す

からだ。

これは一体どういうことか?

 

 

勝って幸せになる
というのは、他者より優位に立って幸福を手に入れるということで、仏教が大切にしている慈悲(他をあわれみ楽しみを与え苦しみを取り除こうとする気持ち)という考えと反対の心の動きをする。

 

人に勝って、人の上に立って、優越感を得て喜びを手に入れる。
誰かが負けてくれたという事実に目が向かず、自分が勝てばそれでいい、自分がよければいいという気持ちが働いてしまうといずれは苦しくなってしまう。

 

 

勝ったそのときはよくても、人は永遠に勝ち続けることはできない。
必ず負けるときが来る。

勝つ喜びというのは負ける苦しみとは切り離せないのだ。

 

 

また、

負けたら不幸

という考えも苦しさを生む。

 

 

みなさんも経験のあるように、大抵の人は負けるのだ。笑

勝ち組、負け組という言葉があるが、みんながみんな勝ち組になれる訳ではない。

勝ち組になれなかったら不幸、負けたら不幸ならば、この世界には幸せになれない人がたくさん出てきてしまうではないか。

それはいいことではない、もちろん。

 

 

ちなみに、オリンピックのメダル数をメディアがこぞってドドーンと紹介していたことに対し、明石家さんまが、

「メダルの数ばっか報道して。メダルの裏に泣いてる選手がいっぱいおんねんでー」

と言っていたのが印象的だった。

 

 

と、話が逸れたが、では競争というのは勝ち負けをつけるから全て悪いものなのだろうか?

いい競争と悪い競争

勝って優越感に浸り嬉しくなったり、負けて劣等感や卑屈になってしまう競争はよろしくない。

 

 

だけど、いい競争もある。

 

 

例えば、今回のオリンピックのもたらしたプラス面。

経済効果はコロナ禍での開催で逆効果となった面はあるが、暗くなっている私たちの心に光を差し込んでくれた面があるのも確かだ。

見ている人に勇気や希望を与えるような競争は素晴らしいと思う。

 

 

また、さっきも書いたが勝って得られた報奨金などを自分のためだけではなく、困っている人に分け合うという動きも活発だ。

 

サッカーの元日本代表本田圭佑が東日本大震災のときに5000万円を寄付したり、被災地にサッカーボール200個を贈ったり。

 

こちらは本田がイタリア地震(2016)に2万ユーロ(約230万円)を寄付したときの写真↓

本田圭佑がイタリア地震に寄付したときの写真

 

 

プロ野球選手会が新型コロナ感染拡大防止基金やマクドナルドハウス(病気の子供と家族のための宿泊施設)への莫大な寄付をしたり。

 

ドナルド・マクドナルドハウス↓↓
マクドナルドハウスの写真

 

 

自分達の勝利を支援が必要な人々と分かち合うというのがスポーツ界の素晴らしいところだと思う。

 

 

さらに、東京オリンピック(2020)から初めて採用された競技

スケートボード

では、世界ランキング1位の岡本碧優(おかもとみすぐ)が着地に失敗したとき、他国のライバル選手たちが駆け寄り励ますという一幕があった。

↓↓

岡本碧優に駆け寄る他国の選手たち

 

 

サッカーの3位決定戦で敗れた日本代表の久保選手が試合後泣き崩れるところに、メキシコ代表選手がカメラを撮るなと怒る場面も見られた。

 

久保選手を励ますメキシコ代表

 

 

勝利だけにこだわるのではなく、スポーツを通して国を越えた交流、友情、絆

を感じさせられた。

 

中国の女子高飛び込みで金メダルを獲った14歳の全 紅嬋(ゼン コウセン)は

「お母さんの治療費を稼ぎたい」

一心で練習に励んできたそうだ。

 

全 紅嬋(ゼン コウセン)↓↓

全 紅嬋の写真

 

これにはいろんな意見もあるが(義務教育も受けさせないで飛び込みマシーンのように練習ばかりさせてきたんではないかとか)、彼女の

お母さんを助けたい

という想いには心を打たれた。

 

 

 

いい競争は他にもある。

例えば、資本主義

みんなで競争してどんどん経済を発展させて豊かになろう

というものだ。

 

 

日本も資本主義社会だ。

おかげで日本はお金持ちになって、とりあえず飢え死にすることはほぼなくなった。

社会主義の国(北朝鮮、旧ソ連等)というのは、みんな平等にお金も食べ物も分け合うから何かよさそうだが、競争しないため経済の発展が遅い。

おかげで超絶貧乏だったりする。

それで、病気になっても治療できなかったり飢えたりしてしまう。

 

 

資本主義のように

みんなで切磋琢磨して、豊かになろう、みんなでよくなろう

というのはいい競争だと言える。

 

いい競争は人を幸せにする。

みんなで勝利を、豊かさを分け合おうという方向に進めば、競争も素晴らしいものになっていく。

競争社会で生まれる劣等感、卑屈はどうするか

劣等意識に苦しむ男性

 

とはいっても私たちは日々、この競争社会の中で誰かと比べてしまい、ときには劣等感を持ったり卑屈になったりしてしまうこともある。

 

 

 

私の場合、うつ病で動けなくなってしまったとき、

ああ、友達はみんな働いてるのに自分はダメ人間だ……。

と考えて、ますます苦しくなってしまった。

 

 

うつ病だけではない。

自分の容姿に対しても、ずっと劣等感を抱いていた。(コンプレックスと言い換えてもいい)

 

思春期くらいから、

自分はブスなんじゃないか

という想いが出て来て、眼鏡やめてコンタクトにしてみたりしたが、なかなかこの劣等意識はぬぐえなかった。

 

別に誰と競争しなくてもいいのだが、勝手に人と比べては劣等感を抱いたり、卑屈になってしまったりということはあるものだ。

 

 

では、どうすればいいのか?

 

 

うつ病や他の病気、ケガなどで自分が何もできないような状態になってしまうと、

元気な人に比べて情けない。

健康じゃなくなったら自分の価値が下がって、いい仕事に就けなくなったり恋人ができなくなったりするかも。

自分はこの社会の負け組なのかー。

などと考えてしまうかもしれない。

 

 

確かに健康という意味では元気な人に負けているかもしれない。

だけど

人に勝って幸せを得るのではなく、人と何かを分かち合って幸せになるほうが真の幸福感を得られる。

 

 

病気になったら病気になった人の気持ちが分かる。

病気になった人にしか分からない苦しみをいうのは必ずあって、それが分かるというのは大きな強みだ。

自分の経験を分かち合うだけでも、同じ病気になった人は随分と助けられる。
希望を持つこともできるかもしれない。

 

 

これは、容姿問題にも言える。

容姿のすぐれた人には、ブスの気持ちは分からない。笑
気持ちが分かるというのは人に優しくなれる、寄り添えるということで、そういう面では優れているのだ。

 

 

また、劣等感を前向きな努力によって解決していくというのも大事だ。

病気になっても、そこで諦めずに治す努力をする。

うつ病なら病気そのものの治療も大事だが、それまでの生き方を見直すとか過去のトラウマと向き合うとかいうことも必要かもしれない。

 

 

容姿の問題は、

例えば私は中学生のときに眼鏡をやめてコンタクトにしたりしてみたが、それも一応前向きな努力の1つだ。

他にもダイエットしてみたり、メイクやファッションを勉強してみたりということもできるだろうし、最近なら整形級メイクも話題になっている。

整形級メイクができるようになれば、これはもう誰でも美人やイケメンになることができる。

 

こちらは整形級メイクの達人ギュテの写真。彼は脱毛症で髪の毛も眉毛もなくなった絶望状態からメイクを勉強して今の姿を手に入れた。↓↓

ギュテの整形級メイク

 

 

 

もう1つは、自分の考え方を変えること。

現代は昔に比べてに多様な価値観がある世界だ。

 

容姿のことを言えば、

太っててもいいじゃん、とか
整形してもいいじゃん、とか
男が女の格好(逆も)してもいいじゃん、とか

ちょっと前なら、あまり認められていなかったような価値観がずいずい出てきていて、田舎はまだまだだろうが、私の住む東京都ならだいぶ生きやすくなっている。

 

 

また、容姿、学力、スポーツなどの子ども時代に主に比べられてきたやつは無視して、もっと別のところに自分の価値を見出すのもいい。

 

最近では昔では考えられなかった、

ゲームめちゃくちゃ上手いやつ

とかが、もう大人気になったりしている。(YouTubeとかで)
仕事になったりもしている。

 

親が子どもに

「ゲームばかりしてないで勉強しなさい」

という時代は終わったのかもしれない。

 

 

 

また、自分が優れていなくても、優れた人を活かすことで活躍する人もいる。

 

パナソニックの創始者松下幸之助は、体が弱く、早くから会社を各事業部に分け、人に任せるようにしていた。

また、芸能人のマネージャーや、スポーツ選手のコーチなど、人の才能を活かすことで活躍する人はたくさんいる。

むしろ、人を活かすことのプロになる人もいる。

 

自分で全てやろうと思わずに、

人を使う、人を動かす、人を活かす方向で活躍していくのも素晴らしい生き方だ。

 

 

 

もう1つ。

仏教の教えでは
広い視野をもつことが非常に大事
だとされている。

 

 

視野を広げてみると、

日本に生まれたというだけで、いろんな恵みを受けている。

 

私たちに食べられるために育てられ殺される動物や、貧しくてきれいな水が飲めない国の人たちの犠牲のもと、日本人は豊かな生活を送っている。

 

恵みというのは他の犠牲からきているものだ。

世界的な視点まで視野を広げると、日本に生まれたというだけで勝ち組にいることは間違いない。

 

 

 

もう1歩進むと、仏教には
自他一体
という教えがある。

 

 

自分や他人や物や動物を区別しない。

私達は宇宙の1部で、みんなこの世界を作る細胞なのだ。

それは体を作る細胞のようなもので、手の細胞が足の細胞より劣っているなんてことはない。

みんなで一緒にこの宇宙を作っているのだ。

だから、自分や他人を区別する必要などない。

他人の幸せは自分の幸せ、他人の苦しみも自分の苦しみとして受け取っていく。
こういう考え方だ。

 

要するに、仏教的に考えると、そもそも

競争などという概念は存在しない

ことになる。

うつが辛い方へ

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

今日は

病気になったからこそ人に与えられる価値もあるよ。

いい競争は人を幸せにするよ。

仏教的にはそもそも競争など存在しないよ。

というお話でした。

 

競争社会の中にいると、うつ病になった時点で

自分は健康な人に比べてダメ人間だー

と思ってしまうかもしれません。

 

だけど本文でもお話したように、全然そんなことはなく、病気になったという苦しみを優しさに変え、さらに同じように病気に苦しむ人に希望を与えられるような存在になることもできます。

 

 

ではでは、また!

感想などアウトプットをくれると嬉しいです。

 

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