こんにちは!コキリです。
仏教の教えで自分と向き合い脱うつした私ですが、仏教と出会い直す前は自分と向き合うなどということは全くできていませんでした。
自分に今何が必要かを客観的に見ることができず、
どんどんうつを悪化させました。
特に、
軽いうつ
のときは危険です。
うつ病には、いろんな程度があります。
「ちょっとゆううつだな」くらいから、「全く動けない、息するのも苦しい、トイレすら行けない」という重症のケースもあります。
私はどちらも経験しましたが、気を付けるべきなのは「軽度うつ」のときです。
「少しくらい辛くても我慢しよう」
こう思って働き続けた結果、私は結局、
「うつが悪化する→仕事を辞める」を7回繰り返してしまいました。さらには難病も発症し、うつ自体も重症化してしまいました。残されたのは大きな絶望でした。
軽いうつのときこそ、自分と向き合うべきときなのです。
「なんか最近やる気出ないな」
「何やっても楽しくないな」
「朝起きるのがしんどい」
こういう「何となくゆううつ」みたいなときが、1番危険です。
頑張ろうと思えば頑張れてしまうんです。
そこで頑張り続けてしまうと、うつが悪化したり長引いたりします。
私と同じ道を辿らないように、ぜひ一読してみてください。
ここから敬語略で失礼します。
作業所で勤務→うつで辞める
2014年、2年半の海外生活を終え(詳しくは「うつを抱えながら海外生活を強行してみて悟ったこと」参照)、新たな生活の拠点として選んだ大都市、東京。
うつ病は4年目に突入していたが、軽い波を繰り返す程度に治まっていた。
アルバイトをしつつ、フルタイムの仕事を探し、たどり着いたのがもともと興味のあった作業所(障害を持つ人が働いている)スタッフの仕事だった。
福祉の仕事は初めてだったが、本やネットで予習し住まいも職場近くのシェアハウスに移し、通勤用の自転車も購入し準備万端だった。
作業所での仕事は予期しないことの連続で大変だったが、やりがいもあった。私はなんとか仕事に慣れようと、必死に食らい付いた。
しかしながら、数か月たったころから、心が徐々に辛くなっていった。
だんだん朝起きるのがしんどくなり、勤務中に頭が働かなくなり、先輩に注意されたり同僚に心配されたりするようになった。
それでも、心の不調を無視して働き続けた。
折角東京で見つけた仕事だし、なんとか頑張り続けたかった。
そんなある日、腰に違和感を覚えた。生理のときだったから生理痛だと思ったが、何日経っても痛みが治まらない。おかしいと思い整形外科を受診したところ、椎間板ヘルニアと診断された。
療養のため仕事を休みシェアハウスで寝ている間に、腰の痛みも手伝ってか軽い波で治まっていたはずのうつ病が本格化してしまった。
うつがひどくなると、
もう何もかもどうでもいいや
という気持ちになった。
そうして、折角見つけた仕事も辞めてしまった。
わずか7か月の勤務だった。
ドーナツ工場&火鍋店で勤務→うつで辞める
うつを治すため、薬を飲み、ひたすら横になる生活を数か月続けた。
何とか働けるまでに回復したとき、今度はドーナツ工場での職を得た。頭をあまり使わない手作業の仕事がしたくて、ここに決めた。
ドーナツ工場での仕事は、作業所に比べて気楽な部分が多かった。主な仕事はドーナツのデコレーションで、先輩が丁寧に教えてくれ難しくなかった。
これなら続けていけると思った。
しばらくすると、調子がよかったことに加え金銭的な余裕ほしさから、掛け持ちで火鍋のお店でアルバイトも始めた。
体調に変化が現れたのは、火鍋のお店に勤務し始めて1ヶ月くらい経ったときだった。
なんかだるい。
休みの日なのに何もする気が起きない。
ずっと寝ていたい。
こんな状態がしばらく続いた。
そこで職場に相談するとか、シフトを減らしてもらうとかしたらよかったのだが、いつもの悪いくせが出た。
まだいける
私は、心のサインを無視して働き続けた。
気が付いたときには、布団から起き上がれなくなっていた。
しんどいから「苦しい」に変わっていた。
「すみません、うつで動けないんです」
ドーナツ工場の先輩に連絡した。火鍋の店にも連絡した。
9ヶ月働いただけで、また無職になってしまった。
情けなかった。
なんて迷惑な人間なんだろうと心底、自分が嫌になった。
中華食堂&家庭教師&免税カウンターで勤務→うつで辞める。さらに難病「膠原病SLE」発症
長い休みを取った。
もう同じことが起きないように、うつをきちんと治そうと思った。
じっくり時間を掛けて休養を取った。(半年くらい)
人生の夏休みを終え、回復した頃、中国人家族が経営する中華食堂で働き始めた。
休んでいる間に自分のキャリア的なことも考え、中国語関係の仕事に就こうと考えたのだ。(私は2年の中国暮らしを経て中国語を習得していた)
いきなりフルタイムでは働かず、ランチのホール兼通訳+店長の親戚の男の子の家庭教師をした。
順調だった。2年半、うつが重症化しなかった。
(軽い波はあったが)
これなら仕事を増やせると思い、百貨店の免税カウンターで掛け持ちで働き始めた。中国語でのお客様対応の仕事だった。
心がまた不調を訴え始めたのは、免税カウンターで働き始めて数か月経った頃だった。
とにかく眠い。
仕事中なのに耐えられないほど眠い。
1度、仕事中に胸が苦しくなりカウンターにうずくまっているときに、お客さんが運悪く来てしまい無表情のまま接客をしてクレームをもらった。(上司にも説教された)
こんな状態だったにもかかわらず、私は自分を抑え仕事を続けることを選択した。
それからしばらく経ったころ、顔に赤い発疹が出始めた。
気になって皮膚科に行ったところ、医者から膠原病内科を紹介される。
色んな検査をした結果、
難病の「膠原病SLE」
と診断された。
免疫が敵ではなく自分の細胞を攻撃してしまう病気らしい。
そこで免疫抑制薬を飲み始めた。
軽症なので、日常生活は普通に送れるとのことだった。
軽症といえどもショックだった。
特にショックだったのは、医者から言われた次の言葉だった。
「紫外線は浴びないようにしてください。それと、子どもを産んだら悪化するかもしれません」
これを聞くと、なんだか自分自身の可能性が大きく狭まった気がした。
その後、難病になったショックもありうつも重症化してしまった。
3年半働き、また動けない状態になってしまったのだ。
ここまでで6つの仕事をうつで辞めているが、その後レストランの中国語スタッフの仕事を1日でダメになるという最短記録を打ち出すことになる。
軽いうつを無視して働き続けた結果はあまりにも残酷だった。
・仕事を何度もやめたことによる自信喪失
・難病の発症
・うつ病の重症化
・絶望
もしも症状の軽いときに対処していたら、こんな風に何度も同じ過ちを繰り返しうつがここまで重症化することもなかったかもしれないのに。
ああ、あのときちゃんと自分と向き合っていれば……。
今思えば、本当にバカだったと思う。
今、うつうつしている人へ
ここまでお読みいただきありがとうございました。
最後に1つだけ仏教のお話。
仏教の基本は長い目と広い視野です。
もし、今、軽いうつを押し切って頑張っているなら長い目と広い視野をもって、1度自分と向き合ってみてください。
このまま頑張って近い将来力尽きてしまわないか、今は休むべきときじゃないか。本当に今の働き方でいいのか、道はたくさんあるんじゃないのか、と。
心静かに長い目と広い視野で自分を見つめてみると、今どうすべきかが見えてきます。
私と同じ道を辿らないように、ぜひ参考にしてみてくださいね。