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うつを抱えながらやりたいこと全て実現した話

 

こんにちは!コキリです。

 

私は20歳から11年間うつ病と過ごしてきましたが、このかんやりたいことはほとんど全てやってきました

 

 

うつを発症した大学生のとき、うつだからってやりたいことは諦めない。全部やると決めました。

 

 

うつ病を発症する直前の2009年、19歳の私がやりたかったことはこちらです。↓↓↓↓

○海外生活
○教師のお仕事
○エステ
○ワキ脱毛
○歌、ダンスを習う
○視力回復の手術
○猫を飼う
○シェアハウス暮らし
○逆立ち
○小説を書く
○憧れの人のセミナー
〇クロール
〇海外ボランティア
〇恋人と旅行に行く

今思い出せるのはこれくらいです。

 

そしてうつ病を患っていた11年でほぼ全て実現しました。

うつを抱えながらどうやって、どんな風に挑戦してきたのか?

今日のお話、始めます。(ここから敬語略で失礼します)

海外生活&教師のお仕事

こちらに詳しく書いたのでここでは割愛↓↓

うつを抱えながら海外生活を強行してみて悟ったこと

エステ・ダンス・歌

女性の憧れと言えばエステ

私の初エステは23歳のとき、中国で実現した。

 

うつ病でありながら、

日本語教師として世界を周る

という夢を叶えるため、抗うつ薬を主治医にたくさん出してもらい(ホントはダメです。感謝してます)、それを持って出国!

 

22歳・23歳の2年間、私は中国安徽省合肥市あんきしょうごうひしで暮らしていた。

 

合肥の地図

 

 

なぜ中国で暮らしているときにエステに通おうと思ったのか?

 

それはずばり、安かったから!!!

 

 

当時(2011年、12年)、中国の物価はチャーハンが1皿60円くらい。マクドナルドの時給も60円くらいだった。

にもかかわらず、私の日本語教師としての給料は時給1000円くらいだったので、なかなかのものだった。

 

そんな日本人の私にとって激安の国に住んでいたので、これを利用しない手はなかったのだ。

 

 

中国語がだいぶ上達し、うつの波から回復しつつあった(中国でもうつで死にかけました。詳しくはこちら)23歳のとき、私は初エステに通うことになった。

 

 

エステの内容は、

フェイシャル

ハンドマッサージ

眉剃り

シャンプー

のセット。

 

10回コースで1万3000円くらいだった。

1回1300円でこのセット内容はかなりお得だと思った。

 

 

クオリティも、まあ、悪くはなかった。

日本のようなとびきりの清潔感や超丁寧な応対はなかったが、そもそも中国にエステのまだ少ない時代だったので、私としては大満足だった。

 

 

 

他にも、ずっとやってみたかった、

ダンス

を習いに行った。

 

当時、私は自分を表現することが苦手だったので自己表現の方法を学びたかった。自己表現が下手で自分の内側へ内側へと入って行く性格がうつ病と関係しているのかもしれないと考えていた。

 

外国に住んでいるという解放感と、レッスン料が安かったことが決め手となった。

 

ダンスは通い放題のコース、歌は10回コースに申し込んだ。

 

 

ダンス教室↓(真ん中がコキリ)

合肥のダンス教室の写真

 

歌の写真は残ってませんでした。

 

 

ダンスや歌は、日本に住んでいたら恥ずかしくてできなかったかもしれない。(私は当時極度の緊張しい、恥ずかしがり屋だった。笑)

自分は外国人という解放感が手伝って、私はいくらか大胆になれた。

 

 

まだうつの波が行き来していた頃だったが、無理をせずに、行ける範囲で習いに行った。

 

 

のちに、ダンス教室で出会った中国人の友達、露露るるに、うつ病のことを打ち明けられるほど仲良くなった。

 

露露るるの反応は、

「うつ病ってなに?」

だったが、真摯しんしに話を聞いてくれ、いつも一緒にいてくれた。

 

そのことでだいぶ救われた。これだけでも思い切って習いに行った意味があった。

(ちなみに中国でもうつ病患者は多いらしいが、彼女は知らなかったようだ。)

 

 

ダンスや歌を習いに行けたことで、

やりたいことをやりたいまま終わらせずに実現できた

という自信にもつながった。

 

また、ダンスや歌に集中している間はうつ病のことを考えずに済んだ。うつ病以外のところに意識を向けるのは大切なことだと思った。

海外ボランティア

マニラのスラム街の子ども達

 

 

いろんな国を見てみたいという願望がずっとあったのだが、ただ行くだけではなくボランティア活動をしてみてはどうかと考えた。

当時は「人のために何かする」というより「自分の成長のため」だった。

 

 

そこで私は、中国在住だった23歳のとき、フィリピンに飛び立った。

NGO主催で、フィリピンの首都マニラのスラム街にて1週間のボランティアに参加したのだ。

 

 

ボランティアを世話してくれる現地スタッフがすごく厳しい人で、毎日怒鳴られっぱなしだった。たまたま一緒に参加した大学生は殴られていた。

 

 

私は私で正直に、

「自分の成長のために参加した」

と言ってしまい、めちゃくちゃ怒られた。

 

50代くらいのおじさんだったが、とにかく熱い人だった。

 

 

 

ボランティア活動では、貧困層の子どもにパンを配ったり、ケガの治療をしたりした。(参加日が一緒だった大学生3人と一緒に活動した)

 

 

パンの配布に行列をつくる子どもたち。↓

パンの配布に並ぶ子供たち

スラム街の子ども達

 

 

ケガの治療↓

 

マニラで子どものケガ治療をする写真

 

 

また、マザーテレサの家で子どもたちと一緒に遊んだ。

障害を持った子や家族のいない子がここで暮らしていた。

 

 

マザーテレサの家↓

マザーテレサの家

 

 

他にもごみ山の見学や、スラムの子どもたちとダンスを踊ったりした。

 

 

マニラのごみ山↓

マニラのスラム街のごみ山

 

 

一緒に参加した大学生と↓ (右から2番目がコキリ)

ボランティアの大学生たちと

 

 

さんざん怒られたり、いろんなことを考えさせられる1週間で、うつの症状が出ることはなかった。もし出ていたらそれこそめちゃくちゃ怒られたかもしれない。(現地スタッフは心の病気など認めないと言っていた)

 

 

ボランティアに行って感じたことは、

少ないパンを配りに行くより、私がフィリピンに行くまでの航空費や滞在費を送ったほうが役に立つのではないかということ。(でもやっぱり直接触れ合うことも大事か)

 

もう1つは、

自分の成長も大事だが、純粋に人のために何かしたいと思えるようになりたい

と思った。

 

とにかく濃い、衝撃的な体験となった。

視力回復の手術

女の子, 目, 緑の目, 視力, ヴィジョン, 眉毛, 睫毛, 美しさ, 顔

 

 

私は子どもの頃から目が悪かった。

小学3年生から眼鏡をかけはじめ、中学1年生でコンタクトに。それからはずっとコンタクト生活をしていた。コンタクトの度数は-11だった。(分かる人には分かるがめちゃくちゃ強度近視です)

 

裸眼だと、視力検査の検査表が見えなかった。どちらに穴が空いているかが見えないのではなくて、検査表自体が見えなかったのだ。

 

これ↓

ランドルトC, 視力検査, アイチャート, 視標, 目の検査, 手紙, 計測

 

 

1歩外に出ると信号が見えなかった。信号の色が見えないのではなく、信号自体が見えなかった。

 

なので、裸眼でくっきり綺麗に見える世界に憧れていた。

それに毎日のコンタクトレンズの手入れも面倒だった。お金もかかった。

 

 

視力回復手術をはじめて意識したのは大学生のときだった。

同級生がレーシックという手術を受けて1.0まで回復したという話を聞いたのだ。

 

 

さらに、卒業後は中国に行くことが決まっていて、コンタクトレンズを買って持って行くのが面倒だった。中国で買うこともできるのだが、いまいち信用できなかった。

 

 

そこで、中国へ行く前のレーシック手術を決意し、眼科へ検査しに行ったのだ。

 

ところが、実現しなかった。

 

 

眼科医に、

「ちょっと目が悪すぎてレーシックでは回復しませんねえ」

と言われたのだ。

 

レーシック手術は目の角膜を削って視力を回復するらしいのだが、私の場合もともとが悪すぎてギリギリまで削っても回復は難しいとのこと。

 

 

ちーん。

 

 

こうして、私は、コンタクトレンズを抱えて海外へ行くことになったのだった。

 

 

 

では、いつ視力回復手術をしたのか。

 

それは、2014年の7月、25歳のときだった。

東京のシェアハウスで暮らしていた頃のことだ。

 

 

裸眼でくっきりはっきり

という世界への憧れを捨てきれなかった私は、新しい視力回復手術、フェイキックに挑戦できないかと思ったのだ。

 

 

これは角膜は削らず、目を切って、中に人工コンタクトレンズを埋め込むという手術だった。

 

レーシックでは1度削った角膜は元に戻らないが、フェイキックの場合埋め込んだコンタクトレンズを取り出せば元の状態に戻せる、というのも魅力的だった。

 

当時、知的障害者の作業所のスタッフとして働いていたので、上司に相談して休みを取り、手術を受けることにした。

 

 

この頃、抗うつ薬を飲み続けていたが、うつの症状は落ち着いていた。手術などの大きなことは症状が落ち着いているときにするのが鉄則だ。

 

 

手術など受けてうつが重くならないか、そもそも新しい手術は大丈夫かという不安もあったが、ずっとやりたかったことだし、このまま一生コンタクトレンズを買い続ける費用を思えばコスパもいいし、決行することにした。

 

 

 

さて、結論から言えば、術後の痛みでしばらく寝たきりになり、もはやうつなのか何なのか分からない状態になったが、手術自体は成功した。

 

 

手術後すぐに見えるようになるワケではなく、徐々に視力が上がっていき、最終的には裸眼で1.2くらいまで見えるようになった。

 

 

感動した。目が見えるって素晴らしいと思った。

 

これはその後の私の人生においてとても大きなこととなったし、実現できてよかった。

猫を飼う

 

25才で東京に来てから数年間、私はシェアハウスに住んでいた。
だから到底、猫は無理だとあきらめていた。

 

自分のスペースは6畳の1部屋しかないし、他に10人くらいの住人がいた。

 

 

さらに猫を本格的に欲しいと思っていた2018年、私は何度もうつを繰り返していて、ペットの世話なんてできるのか不安だった。

 

 

だから、猫の動画を見たり、猫グッズを買ったり、将来の猫との生活を想像したりして欲求を抑えていた。

 

 

しかし、私はどうしても生活を共にする猫ちゃんが欲しくなった。

 

 

それで、ダメもとでシェアハウスのオーナーに相談した。

「あの、無理だと思いますが、猫を飼いたいんです」

「ん?猫?全然飼っていいよ」

 

 

まじっすかーーーーーーーー。

 

オーナーの意外な返事に拍子抜けした。

 

 

だけど、まだ問題は残っている。
繰り返すうつの波の中で、本当にペットの世話を責任をもってできるのか。

 

 

悩んだ。
できないなら、やめておいたほうがいい。
命を預かるんだから。

 

 

でも、ずっと夢だったし、うつだからって諦めてしまっていいのだろうか。

 

 

私が出した答えは、
NO
だった。

 

 

うつ病だからって、諦めたくない。
やりたいことはやる。

 

 

それからの、私の行動は早かった。
瞬く間に欲しかった猫を手に入れたのだ。

 

 

猫を飼う準備をしている間、うつも引っ込んでいてくれた。
むしろ、ワクワクしていた。

 

 

飼い始めてから、心配していた
「うつで世話がちゃんとできなくなる」
ということも、なかった。

 

 

しんどいときはあったが、

私がシャシャ猫の名)を守らなきゃ

という使命感が、餌と水やりだけはさせてくれた。

 

 

シャシャです↓

ワキ脱毛

わき脱毛の画像

 

 

私がやりたかったことの1つに、「わき脱毛」がある。

 

最近は毛を剃らない女子も出てきているらしいが、私はムダ毛が大嫌いだった。ムダ毛も嫌いだし、ムダ毛処理も嫌い。

 

何とかつるんとした肌を手に入れたかった。 

特に濃い毛の生えるワキは悩みの種だった。

 

 

東京に暮らしでは頻繁に電車に乗ったが、車内でよく脱毛の広告を見かけた。

 

そこに書かれていたのは、

「わき脱毛通い放題200円」

という衝撃の内容だった。

 

 

知らない人もいると思うが、脱毛って結構高いのだ。

それが、200円でできるなんて夢のようだと思った。

 

 

だけど、友達に相談すると、

「それ、わき脱毛は200円かもしれないけど、他の部位も勧誘されると思うよ。そっちが高いんだと思う」

と言われた。

 

なるほど。

わき脱毛200円だけではサロンはつぶれてしまう。

これは、客を呼ぶための手段なのだ。

 

 

 

私は急に心配になった。

それと言うのも、私は断ることが苦手だからだ。

やりたいのは200円のワキ脱毛だけ。

だけど、他の部位の勧誘もされたら、果たしてうまく断れるだろうか。

 

 

 

それと、もう1つの大きな問題。

脱毛サロンに通うなら、

予約する→店に行く

という流れをクリアしないといけない。

 

 

 

うつの波があるとき、

予約した日時にちゃんと店に行く

ということがしんどかった。

 

 

実は何度も病院(精神科)をすっぽかしたことがある。
友達との約束をドタキャンすることもしばしばだった。
(すみません。。。。)

 

 

 

だから、サロン的なところに通うのは、難しい気がしていた。(中国のダンススクールのように予約なしでいつ行ってもいいというスタイルが好きだ)

そこで一旦、わき脱毛の夢は諦めてしまった。

 

 

 

しかし、しばらくするとまた脱毛への想いが膨らんできた。

私は、やりたいことは全てやると決めたのだ。

 

 

 

そこで、勇気を出してサロンを予約した。

 

やりたいことだから、多少うつっぽくてもきっと起きられると自分に言い聞かせた。当日、わき以外の部位を勧誘されたら、はっきり断るイメトレもした。

 

 

 

そして、その日がやってきた。

1つ目の試練は、予約時間にサロンに行くこと。
これは、クリアできた。

2つ目の試練は、ワキ以外の部位はきちんと断ること。

 

 

個室で脱毛についての詳しい説明があったあと、スタッフのお姉さんとこんな会話をした。

 

「わき脱毛ご希望ということですが、他に気になっている部位はありますか」

「えっと、そうですね、足と腕も気になります」

「足と腕ですね、では、こちらのプランがよろしいかと思います」

 

 

お姉さんから提案されたのは、15万円くらいのプランだった。

それは当時の私には、かなり厳しい金額だった。

 

 

あれ?

やばい。

何で正直に気なってる部位、答えちゃったんだ・・・・・・・。

やばい、

 

 

私がしどろもどろになってる間に、15万円のプランの話がどんどん先に進んで行った。

 

 

やばい、

やばい

15万円なんて、

出せない。

 

 

私は自分自身を鼓舞して、胸のドキドキを抑えてなんとか声を出した。

 

「あの、ワキだけのプランでお願いします」

 

お姉さんは一瞬動きが止まったが、すぐに笑顔に戻った。

「ワキだけのプランですね、分かりました」

 

 

やった。

言えた。

 

 

こうして私はめでたく200円だけを支払い、わき脱毛通い放題を手にしたのだ。

 

 

予約時間にきちんと店に行く、断りたいことは断わるという成功体験を積めたことは、私にとっては大きな進歩だった。

 

その後も、予約をすっぽかすことなく通うことができた。(なんとか)

逆立ち

逆立ちの画像

 

 

子どもの頃からずっとやりたくてできなかったことの1つが、「逆立ち」だった。

 

 

小学生や中学生の体育の時間、マット運動というのがあったのだが、私はそれが大の苦手だった。

 

特に逆立ちに関しては、壁を使っても全くできなかった。

友達が補助してくれてもできなかった。

 

そもそも恐怖しかないのだ。

それで、できないまま放置して大人になった。

 

 

別に、逆立ちなどできなくていいのではないかと思うかもしれないが、私は大人になってからも、どうしても逆立ちができるようになりたかった。

できないまま人生を終えたくなかった。

 

 

 

そこで、当時住んでいたシェアハウスの一室で練習しようと試みた。

だけど、やっぱり怖くて、床に手を付くところまでしかできなかった。

怖くて足を上げられないのだ。

 

 

 

自分の力ではどうしようもないと悟った私は、体操教室を調べた。

先生がいればできるようになると思ったのだ。

 

 

ここでも、またあの不安が出て来た。
通う
ということが怖かった。

 

 

1回だけ行って、ダメになったらどうしよう。

 

それに、

 

新しい場所、
新しい人
新たな挑戦
怖い

 

 

とにかく、
時間通りに通う
ということが、怖かったのだ。

 

 

うつで動けなくなって急なキャンセルを繰り返して、先生に呆れられたらどうしよう、などと考えては後ろ向きになっていった。

 

 

 

で、結局どうしたか。

 

怖い怖い
と思いながらも、

やりたいことやらないと後悔する

という思いが勝って、私は体操教室に通い始めた。

 

 

 

それは、大正解だった。

 

先生にコツを教えてもらい、私は瞬く間に逆立ちを成功させてしまったのだ。餅は餅屋、とはこのことだ。

 

 

いよっしゃーーーーーーーーーーー

と心の中でガッツポーズした。

これは本当に嬉しかった。

 

 

 

その後もしばらく体操教室を続けたのだが、暗いうつの波にやられ、先生に、

「どした?しんどそうだな、大丈夫か?」

と心配されることもあった。

 

 

レッスン中にしんどくなって、練習を中断して他の人のを見ているだけのときもあった。

 

 

それでも、やってよかったと思っている。
先生に心配をかけてしまったのは申し訳ないが、レッスン料は払っているのだし、やらずに後悔するよりずっといい。

うつになって、やりたいことができなくなるのでは?と思っている方へ

ここまでお読みいただきありがとうございました。

実現できたやりたいことは他にもありますが、ここでは割愛します。

 

 

私は大学生でうつを発症したとき、
将来、やりたいことができなくなるのでは
という恐怖がありました。

 

だけど、そんなことはありませんでした。

 

それは、私が、
やりたいことは諦めない
と決めたからです。まず、こう決めることが大切です。

 

 

当時の私は、やりたいことのほとんどが

自分のため

でした。

 

仏教の教えで自分と向き合い、脱うつした今では、

誰かのため

に動きたいと思っています。

 

 

やりたいこと(大きいことでも小さいことでも)が分からない人は、1度自分と向き合ってみてください。

 

それが自分のためでも人のためでも、ぜひ実現に向けて動いてみてください。

 

 もちろん、しんどいときはたっぷり休むことが大切です。
だけど、体調はまあ大丈夫だけど失敗が怖いとか、もっと悪い状況になるんじゃないかと思って行動できないというときは、やりたい気持ちを大切にしてみてください。

 

 

のちに仏教の先生から、

 

①うつの自分と向き合う

②人生の目標に向かって動く(うつ病以外に意識が向く)

 

の同時進行が大切だと言われました。

 

人生の目標と書いていますが、まずは小さなやりたいことでも構いません。

 

私の場合、やりたいことばかりやってうつ病の自分からは逃げ続けていたので、仏教と出会い直してからはがっつり自分と向き合いました。

 

うつ病の自分と向き合いつつ、外にも意識を向けることが大事です。

 

では、今日はこのへんで。

 

 

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